わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。
ヨハネによる福音書14章27節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「目を覚ましていなさい」マルコによる福音書13章33~37節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 早朝礼拝のメッセージはミッキー兄です。感謝します。
- 本日(2022年7月10日)、礼拝後に7月教会ビジョン会を行います。教会員の方はご出席ください。
- コロナ禍は依然として収まっていません。この中にあっても守られ礼拝が続けられることをお祈りしましょう。
ディボーションノート「水路のそば」
7月11日(月) | コリント人への手紙第二1章1〜11節 |
7月12日(火) | コリント人への手紙第二1章12〜24節 |
7月13日(水) | コリント人への手紙第二2章1〜17節 |
7月14日(木) | コリント人への手紙第二3章1〜18節 |
7月15日(金) | コリント人への手紙第二4章1〜18節 |
7月16日(土) | コリント人への手紙第二5章1〜21節 |
7月17日(日) | 詩篇116篇1〜48節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
気をつけて、目を覚ましていなさい
マルコによる福音書13章33~37節
マルコの13章は、マタイの24章の並行記事で、終わりの時が預言されています。ここには2つの言葉がよく出てきます。「気をつけて」と「目を覚ましていなさい」です。
特に、イエス・キリストの地上再臨には「しるし」があります。しかし、教会の空中掲挙にはありません。マタイ24章には「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ、父だけが知っておられます。」(マタイによ福音書24章36節)とあります。それは、ノアの時のようです。人々は、飲み、食べ、嫁ぎ・・・と普通の生活をしている時、突然です。ある日、瞬時に地上から教会が携えあげられるのです。ですから、気をつけて、目を覚ましていなさい、と警告しています。
イエスの地上再臨に、艱難などのしるしがありますが、そのしるしのスタートが掲挙だからです。歴史も、人生も、突然終末を迎えますが、ある意味、予兆があるのです。
世界的にみれば、ロシアが動き出したことも予兆のひとつです。エゼキエル書38章に記されています。東洋の2億の傭兵が動き出す、という予兆もあります。ある国は、西方に道を拓き、前進を始めました(黙示録9章13~21節)。ウクライナでの出来事は、「ヨーロッパ連合」の結束を招いています。預言では、復興ローマ帝国とイスラエルの平和条約が結ばれることが記されています。また、世界統一政府が実現し、国民に総背番号をつけることが記されています。掲挙の前触れです。「いちじくの木から教訓を学べ」と聖書にありますが、いちじくはイスラエルの例えです。イスラエルに関しては、最近イランとのせめぎあいがあります。選民の動向が重要です。
では、「気をつけて目を覚ます」には、どうしたらよいのでしょうか。
1、「見張り人」になること
世の終わりは、サタンが活発に動き出すでしょう。偽預言者、偽使徒、いつわりの福音、真理ではない情報が飛び交います。現代は情報社会です。情報を制する者が勝利者になると言われています。「おれおれ詐欺」から、「うそ」が増えてきたように思います。神でないものが神を偽る、まさに偶像礼拝です。そのためには、みことばを学び、触れ、求め続ける必要があります。
沖縄には、500以上の「城」があるそうですが、1つの石でも、首里城でも、その城の役割は「見張り」です。外国から来る商船をいち早く見つけたものが商談できるからです。
2、いつ掲挙があってもよい生活
人の生涯は120年とあります。やがて老化し、あるいはステパノのように、掲挙されます。いつあってもおかしくありません。ぶどう園を主人から任された農夫のように、花婿を待っている10人の乙女のように、「待っている」状態が大切です。
3、希望の証人として
「終わり」も、「その状況」も、不安、恐れをもたらします。戦争、飢饉、地震、疫病・・・世界は、私はどうなるのだろう、将来に向けて希望が持てないようです。人に必要なのは「信仰」です。信仰の反対語は、不信仰ではなく「恐れ」です。神とそのみことばの働きを信じなければ、日々、不安が増大していきます。
それが現実になり、絶望が待っています。しかし、イエスを信じる者には希望があります。
「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」(イザヤ書40章31節)