地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。
イザヤ書45章22節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「イエスはキリストです」ヨハネの手紙第一2章21〜23節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 緊急事態宣言が解除され、日常の生活が戻りつつありますが、続けて対策が必要です。集まりにおいても、制約がありますが、行事を再開できますようにお祈りします。
- 今週10月25日からの聖書の学びはお休みです。
ディボーションノート「水路のそば」
10月25日(月) | 創世記45章1〜28節 |
10月26日(火) | 創世記46章1〜34節 |
10月27日(水) | 創世記47章1〜31節 |
10月28日(木) | 創世記48章1〜22節 |
10月29日(金) | 創世記49章1〜33節 |
10月30日(土) | 創世記50章1〜26節 |
10月31日(日) | 詩篇78篇1〜72節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
イエスはキリストです
ヨハネの手紙第一2章21〜23節
クリスチャンが主として信じているのは、イエス・キリストです。その意味についてお話ししたいと思います。
まず、イエス・キリストというのは、アブラハム・リンカーンのようなフルネームではありません。「イエス」というのは、イエスラエルではごく普通に付けられる名前です。御使いガブリエルがマリヤに告げた名です(ルカの福音書1章31節)。旧約聖書のヘブル語では、「ホセア」「ヨシュア」などと記されています。その意味は、「主は救い」です。預言者たちは、神の救いを語る預言が与えられています。しかし、イエスの意味は、救いを預言するというよりも、ご自身が「救い主」であると名付けられました。
「キリスト」は、「油注がれた」という意味があり、聖書では「油」は聖霊の型、御霊の油注ぎを受けられたという意味で、キリストと称されています。ですから、私たちは聖霊の油注ぎを受けられたイエスを救い主として信じているのです。
本書を記した使徒ヨハネは、神のみことばの啓示を与えられた最後の預言者ともいえます。ヨハネ自身、西暦90年代まで生存していました。ヨハネの活動した時代は、他の使徒たちはすでに殉職死し、マタイの福音書24章で、主が預言された神殿の崩壊からも20年以上過ぎていました。ただ、主の十字架や復活の目撃者も生存していました。
ここには、いわゆる偽預言者が多数いたようです。ヨハネは、原点に帰ってイエスを証する必要に迫られたのです。なぜなら、偽預言者たちに惑わされた人たちが教会から離れていったからです。
ヨハネの福音書第一2章22節には、「偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者、それが反キリストなのです。」とあります。この反キリストは、黙示録に出てくる「666」の個人的な反キリストではなく、全体的にキリストを否定する考えを指します。それはキリストだけでなく、遣わされた御父も否定することになります、と。
そして「救い主」とは何でしょうか。何からの救いでしょうか。
それは大きく3つあります。
1、罪とその罰である「死」からの救いです。
福音は、イエスの十字架と埋葬、復活ですが、罪は、人間がどうすることもできません。どんなに頑張っても、努力しても、熱心でも、日の下で自分の影がついてくるように、離すことができず、その罰である「死」は逃れることができない現実です。イエスは、その死と復活を身代わりに第一として受けてくださった「主」です。
2、解放です。
私たちは、この世の常識や考えに縛られています。それはあたかも真理であり、正しいと思い込んでいます。そのために、そうではない事柄を頭から否定してしまう性質を持っています。
例えば、宗教です。キリスト教を1つの優れた宗教と捉えると、それは信心から始まり、人の努力や熱心、行いに固持し、恵みに抵抗を感じます。また、進化論も疑うことなく受け入れるので、万物は神が創造した、に踏み込めないのです。科学的が正しいと考え、聖書を非科学的と捉え、捨ててしまいます。神信仰は、対象のある信仰で、宗教は人が神を作り、犠牲を払い、支えていくものと捉えます。等々、宗教的、文化的などの「思い込み」からの解放が必要なのです。また、これ自体が悪魔の策略なのかもしれません。
3、いやしです。
主イエスは、その公生涯の大半を「いやし」に用いられました。いやしは、霊的いやし、(霊的救い)と肉体的いやしがあります。主は、天の御国を「いやしの御国」とし、それを可視的に示されました。体のいやしは「復活のからだ」が与えられることで完成されました。
世の終わりには、偽預言者が出てきて、イエスがキリストであることを否定し、そのみことばの力の飢饉を預言しています。今こそ「聖書」に帰る時です。