あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。
伝道者の書11章1節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「御国の復活〜私は主の定めについて語ろう〜」詩篇2篇7〜9節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 2021年 明けましておめでとうございます。旧年は集まって礼拝すること自体が問われる一年でした。教会ではインターネットを使った配信が始まり、なんとかみことばを分かち合うことができました。教会は神との交わりである礼拝と、兄弟姉との交わりにおける祝福など、どうしても密になってしまいます。しかし「時が良くても悪くても」その時できることを続けてまいります。また「いのち」の大切さを考える年ともなり、主が与えてくださる「臨在」と「永遠のいのち」を身近に感じさせる一年でもありました。
- 早朝礼拝はミッキー兄がみことばを取り次いでくださいます。
- 聖書の学びは明日2020年12月28日から2021年1月11日までお休みします。2021年1月12日(火)15:00から再開します。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
1月3日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 |
メッセージ
「御国の復活〜私は主の定めについて語ろう〜」
詩篇2篇7〜9節
詩篇2篇は地上の王たちが即位式の時に朗読されてきたと言われています。世の支配者たちがその権威の椅子に座るときの心構えが示されています。聖書ではどの国の支配者であっても神が立てられているとありますが、支配者の意味は神に委ねられた王として、神を恐れ民の幸せのために仕えることを求められています。また王は、無限の権威が与えられているのではなく、どんなに長期に渡っても、この世の命の限界があり、その席から退く日がきます。それは次の権威者の立てられるまでのリリーフであると言えます。
詩篇は「私は主の定め」について語ろう。神の目的は「御国」の実現です。このゴールまでの予定、計画が示されています。
詩篇2篇7節で意味深いことばが示されています。
「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ。」
それは「父なる神」と「御子」との三位一体の関係です。ここだけでみことばを学んだら「生んだ」は降誕、クリスマス預言に見えます。しかし新約聖書と「使徒の働き」でパウロは、イエスの証人として、父祖たち(旧約聖書)で約束された「福音」は詩篇13篇33節「神はイエスをよみがえらせ」彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。詩篇2篇に「あなたはわたしの子、わたしが今日、あなたを生んだ。」と書かれている通りです。
それは御子の降誕ではなく、「身体をもたれた復活」であることがわかります。実に神の国は、王である主と新しく生まれた民によって成り立ち、それは永遠に続くことが示されています。
永遠という時、人間の三つの部分、罪の中に死んでいた新しい霊的いのち、そして知識と感情と意思による魂の聖め、そして仕上げは、「衰えていく外側の住まいである身体」が「新しい住まいである復活体」に引っ越すことで完成、成就するのです。
そのために「父なる神」は「イエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちて滅びることがない方」と証言されているのです。
キリスト者の希望にもこれにかかっているのです。人間にとって救いのゴールは死者の復活です。
コリント人への手紙第一15章には福音のメッセージがありますが、章の大半は復活の事実、真実です。例えば14節に「そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。」地上の命だけで人生が終わるならクリスチャンはこの世で一番あわれな者たちです。ありもしないことをさもあるように信じているのですから。こっけいです。テレビで本物と偽物を見分ける番組がありました。間違った判断をしている解答者に対して「祈っている」のと同じです。
私たちは聖霊のバプテスマを受けて新生しました。その瞬間、サタンの武器である罪と死と関係を遮断し、新しいキリストのいのちと結ばれ永遠が約束されたのです。
詩篇2篇8節「わたしに求めよ」
私たちは今、私たちにとって未曾有の危機に直面しています。すべての人はその人生の旅を終えようとしています。
ルカの福音書11章で友人が旅の途中、真夜中に訪ねてきたので、空腹であろう友のために、別の友にパンを三つ貸してくれるように頼みます。その時真夜中であっても熱心に求めたら、友は応えてくれるでしょう。同じように「求めなさい。そうすれば・・・」
このたとえ話の答えは「天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます」と聖霊の内住が求める者にあり、聖霊はその人を聖め、助け、守り、永遠のいのちとなられるのです。例え私たちが「悪い者」であってもです。