イエスは彼女に言われた。「信じるなら、神の栄光を見る。とあなたに言ったではありませんか。」
ヨハネによる福音書11章40節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「イエスはキリストです」エペソ人への手紙2章1〜10節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 2020年のクリスマス礼拝は12月20日を予定しています。コロナ禍の中でも礼拝が守られ、喜びの時を持つことができますように。
- 本日(2020年11月29日)礼拝後、クリスマスの飾り付けを行います。ぜひご参加ください。イエスの降誕をお祝いできることは幸いです。
- 本日(2020年11月29日)からアドベントに入ります。今年も「みことばに導かれる降誕祭」を作りましたので、一日の始めに用いて下されば幸いです。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
11月29日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
12月1日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
12月2日(水) | 20:00 | 聖書の学びと祈りの時 |
12月5日(土) | 11:00 | 聖書の学び |
メッセージ
「イエスはキリストです」
エペソ人への手紙2章1〜10節
パウロはエペソの教会に手紙を書いています。エペソはアジア(現在のトルコ)にある異邦人中心の教会です。福音は始めに選民に伝えられ、次第に異邦人に拡大していきました。そのために用いられたのがパウロです。パウロはその名前が示す通り「サウロ」でした。それはユダヤ名です。やがてパウロ、当時の世界共通語ギリシャ語の「パウロ」に変わっていきます。その中で選民イスラエルは聖書の世界観で育てられてきましたが、異邦人はむしろ偶像世界で生まれ生きていきます。「あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいたものであって」(エペソ人への手紙2章1節)と示しています。その時は意識していなくても、サタンとその文化、価値観のなかに生き、やがて御怒りの中で滅びる歩みにありました。
・「自分の背き」ー自身で犯した罪
・「罪の中に」ーアダムの原罪の中に
・「かつては(以前は)」と今はイエスを信じ救われていますが、その前は有罪の判決が出ていたと。
整理すると・・・
1、神は裁き主です。
・やがて、罪を犯した世界は「火によって」裁かれます。
・イスラエルも裁かれます。艱難時代はイスラエルにとっての裁きです。
・アダムの原罪と自分の背きのために、人も裁かれます。
なぜ・・・エペソ人への手紙2章10節で
「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。」
では、何が良い行いでしょうか。それは「人(上を見上げる者)」という言葉に示されています。神を信じ、礼拝するいのちです。
人はアダム以来、神を礼拝するのではなく、自分の能力を信じる偶像礼拝に歩んできました。その一つが宗教、信心・・・行い中心です。いわゆる「神なしの歩み」です。
聖書は、詩篇9篇8節「主は義をもって世界をさばき、公正をもって、もろもろの国民をさばかれる。」と。罪を犯したアダムたちに、「あなたは何ということをしたのだ」(創世記3章13節)と警告し、その先の記録が啓示され、創世記3章19節に「あなたは顔に汗をして糧を得、ついにはその大地にかえる。あなたはそこから取られたのだから、あなたは土のちりだから、土のちりに帰る。」
2、二つのさばき・・・この世界には「さばき」は二つあります。ノアの洪水の後、その家族によって洪水後の世界が始まります。その時主は、創世記9章6節で「人の罪は人によってさばかれる」とあります。神は、人間に世界の統治権と裁判権を与えました。それは正しく管理し、争いが起こったとき正しく裁判することです。例えば、窃盗をしたら、逮捕され裁判を受けて牢屋へ。しかし、裁判は正しくされてきたかはわかりません。詩篇82篇2〜4節に「弱い者、みなしごを無視し、苦しむ者と乏しい者」の助けとならなかった。
今でも再審制度がありますが、どれほど無実の人が間違った判決を受け、苦しんできたのか。死刑にされたら取り返しがつかないのです。また、人を傷つけたのに罰を受けないで、悠然と暮らしている方がいるかもしれません。
「白い御座のさばき」ー黙示録20章12〜14節
やがて世界は、そして個人は、神の前でさばかれます。「数々の書物」が開かれ、隠れた暗闇の出来事も光のもとにさらされます。「行いに応じて」です。
3、イエスは救い主です。
隠れた罪を持っているのは誰でしょう。実は私です。イエスは何からの救い主でしょうか。私の行い、罪と罰からの救い主です。「今は恵みの時です」それはイエスが来られた目的が「世をさばくためではなく、世が救われるためです」(ヨハネの福音書3章17節)イエス以外に救いはありません。