2022年5月22日

見よ。主は地の果てに聞かせられた。「娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。見よ、その救いは主とともにあり、その報酬は主の前にある。』と。

イザヤ書62章11節

敬拝

  • 賛美 主のご栄光をほめたたえます
  • 祈り
  • 勧め 「歴史の、人生のゴール」黙示録21章1~7節
  • 献金
  • 報告
  • 頌栄
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 2022年5月29日(日)11:30amに教会総会を行います。教会員の方はお集まりください。また、参加不可能な方は、委任状を提出してください。

ディボーションノート「水路のそば」

5月23日(月)列王記第一3章1〜28節
5月24日(火)列王記第一4章1〜34節
5月25日(水)列王記第一5章1〜18節
5月26日(木)列王記第一6章1〜38節
5月27日(金)列王記第一7章1〜51節
5月28日(土)列王記第一8章1〜21節
5月29日(日)詩篇109篇1〜31節

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

メッセージ

歴史の、人生のゴール

黙示録21章1~7節

宇宙の歴史が始まって6000年以上、もしかしたら、すべての終末に近づいているのではないかとささやかれています。それは、聖書の三大災い「戦争、ききん、疫病」が顕著に見られるからです。

今年に入って、ロシアが隣国ウクライナに攻め込んでいきました。ニュースを見ていると、その理由が「隣国でいじめられている同胞の解放」と説明されています。確かに、ウクライナの東部では、民族的な対立があり、数万人が犠牲になる争いが続いていました。マタイの福音書には「戦争や戦争のうわさを聞き・・・民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。」(マタイの福音書24章6~7節)とありますが、このことをきっかけにして調べると、世界各地で、民族紛争、国境争いがあります。

神は、世界を6日間で造られ、その世界を見て「非常に良かった」(創世記1章31節)とあります。しかし、今の世界は、このみことばと相反するような、混沌とした状況と言えます。人類は、その英知によって進歩したと言われていますが、決してそう言えないのかもしれません。

創造主から世界の管理を任された人間が、神に対して罪を犯した結果、人間だけでなく、自然もその影響を受けました。

「・・・私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。」(ローマ人への手紙8章18~22節)

新型コロナウイルスが出てきた時から、私は、新聞のニュースの切り抜きを集め始めました。ウイルスは変異し、今はオミクロン株が蔓延しています。しかしウイルスは、コロナだけでなく、様々な形で動物に寄生し、やがて人にも感染して疫病化しています。まさに「被造物がうごめいている」と言えます。

神が世界を創造されて約1000年が経ったころ、ノアの時代には「主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。そして主は言われた。わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。・・・」(創世記6章5~7節)

神が、地の面を洪水によってさばかれ、新しい時代に入ったことが預言されています。その契約のしるしが虹です。

ノアの時代のように、今の世界は終末に向かっていることは確かです。

聖書は「神の愛」が示され、その救いの計画が与えられています。歴史、あるいは人生の滅びの前に、その計画を実行されます。聖書には「祝福と呪い」の2つの道があると言っていますが、罪ゆえに呪われている私たちの「身代わりに呪いを受けてくださったイエス」を信じ受け入れることによって、呪いから解放されるのです。その道が「イエス」です。(ヨハネによる福音書14章6節)

南米で、炭鉱の労働者たちが、地下の空洞に閉じ込められた事故がありました。まだ生存していることが分かった時、地下までボーリングで穴を開け、地上からメッセージを送りました。今、救い出す用意をしているから、そのまま待っているようにと励ましのメッセージでした。その後、食料や医薬品を穴から下ろし、やがて、カプセルで一人一人地上に吊り上げました。

私たちも、世での命が尽きるとき、主にある者をひとりひとり迎えてくださいます。

やがて、その時代のすべての使徒(教会)は、テサロニケ第一4章16~17節にあるように『主が下ってこられ・・・生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。』主イエスは、こう約束されました。「・・・このイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」と。