この地で祝福される者は、まことの神によって祝福され、この地で誓う者は、まことの神によって誓う。かつての苦難は忘れられ、わたしの目から隠されるからだ。見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
イザヤ書65章16~17節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「新しい旅立ち」創世記46章1~7節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 来週2022年5月8日(日)は「母の日」です。母は、創世記3章20節で、エバを「生きるものすべての母」と記されています。いのちの継承に与えられてきた母に感謝します。
ディボーションノート「水路のそば」
5月2日(月) | ヨシュア記21章1〜45節 |
5月3日(火) | ヨシュア記22章1〜34節 |
5月4日(水) | ヨシュア記23章1〜16節 |
5月5日(木) | ヨシュア記24章1〜33節 |
5月6日(金) | テモテへの手紙第一1章1〜10節 |
5月7日(土) | テモテへの手紙第一2章1〜20節 |
5月8日(日) | 詩篇106篇1〜48節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
新しい旅立ち
創世記46章1~7節
神は「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と啓示されて、父祖はバビロンから召しだされ、ヤコブに継承されてきました。
ヤコブの生涯をみる時、波乱に満ちたものだったと言えます。父イサク、兄エソウとの確執、子供たちとの関係・・・
創世記46章は、ヤコブ130歳、老年になっていました。思い返せば、22年前、愛する息子を失っていました。それも、父としてのヤコブに問題がありました。兄弟たちの中で、特にヨセフを溺愛していました。他の兄弟たちにとっては、父の愛を独り占めにしているヨセフは憎まれる存在だったのです。ヤコブは、その事も気づいていませんでした。
ある日ヨセフに、羊の番をしている兄弟たちの所に食事を届けさせます。なぜ、ヨセフだけ仕事をしないで家にいたのでしょうか。
兄弟たちは、自分たちの所にのこのこやってきたヨセフに、食事の感謝をするどころか、排除しようとしました。いじめた後、商人に売り渡し、大切な長服に雄ヤギの血をつけてヤコブに見せ、死んだことを報告したのです。ヨセフ17歳です。ヤコブは、ヨセフとともに死にたいと言っています。
エジプトのヨセフは、奴隷として主人に仕えますが、投獄されます。ですが、聖書には何度も「主がともにおられたので」と記されています。やがてヨセフは、エジプトの王「パロ」に次ぐNo.2になります。そして、神はヨセフに「7年間の豊作と7年間の飢饉」の預言を与えられました。今、豊かでも、やがて飢饉があると。ですから、豊かなうちにその準備をしました。この政策は功を奏し、諸外国にない備蓄に乗り出しました。
飢饉は、その最初の頃から、カナンににるヤコブたちの生活を脅かします。ヤコブは、子どもたちをエジプトに送り、食料を調達させますが、その相手はヨセフだとは知りませんでした。やがて、ヨセフは兄弟たちに自分を打ち明け、父ヤコブにヨセフの生存を報告します。
ヤコブは、エジプトに行く決心をします。ヤコブ130歳、その家族は70名です。カナンからベエルシバへ向かいます。ここは分岐点です。神からの約束の地から離れることになります。約束の地は、ダンからベエルシバです。この時ヤコブは礼拝を捧げます。どうして礼拝を捧げたのでしょうか。
1、感謝する
今までのすべてを導かれた神に感謝するためです。それも、死んでいると思い込んでいたヨセフが生きている、放蕩息子の父のようです。17歳のヨセフが、39歳になっています。
礼拝は、感謝の捧げものです。死からいのちに。週の初め、年の初め。そして新たな出発の初めにです。
2、悔い改め
この事の原因は、ヤコブのひとりの息子に対する溺愛から始まりました。
3、みこころを求める
「主がともにおられる」ことを、ヤコブは知っていたでしょうか。その証が、礼拝です。礼拝の中で、神が語られた「ヤコブよ。ヤコブよ。」という問いかけに、彼はすぐ答えました。「はい、ここにおります」と。サムエルの時のようです。
神のみこころを求める、その動機は、息子ヨセフに会いたい一心です。ですが、大切なことは、自分の進むべき道に神の臨在を確信した結果です。
神は、ヤコブを家族から民族とし、大いなる国民とします。ここから430年後、エジプトにおいて200万人以上の国民とされました。
神の約束は、エジプトは終の地ではなく、カナンに再び連れ上る約束です。ヤコブはエジプトで死にました。ですが、神は神のみもとに連れ戻したのです。