わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。
マタイによる福音書28章20節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「生き方は変えられる」ヨハネによる福音書20章19~31節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 沖縄県のまん延防止期間が2022年2月20で解除されます。来週から平常通りのスケジュールに戻します。ですが、慎重な感染対策は引き続き必要です。特に体調には気を付けて守られますように。
- 来週、27日12時から役員会を行います。
ディボーションノート「水路のそば」
2月21日(月) | イザヤ書39章1〜8節 |
2月22日(火) | イザヤ書40章1〜31節 |
2月23日(水) | イザヤ書41章1〜29節 |
2月24日(木) | イザヤ書42章1〜25節 |
2月25日(金) | イザヤ書43章1〜28節 |
2月26日(土) | イザヤ書44章1〜28節 |
2月27日(日) | 詩篇96篇1〜13節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
主は生き方を変えられる
ヨハネによる福音書20章19~31節
聖書でいう「勝利」とは、イエスの復活を意味していますが、勝利するというのは、復活のいのちに預かるということで、みことばの神髄と言えます。
福音を信じ、永遠のいのちに預かった者は、その瞬間、新しい歩みを始めます。
主イエスは、ガリラヤから3年以上過ぎ、いよいよクライマックスであるカルバリの十字架に向かいます。弟子たちを集めて、最後の晩餐の時を持ち、ご自身が過ぎ越しの子羊として、イサクのように木を背負われて身代わりの犠牲となられるのです。
食事の席で聖餐が行われ、主は旧約で預言されたように「わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる。」(ヨハネによる福音書26章31節)と、残される弟子たちがつまづき、散らされると預言しました。
◆主は、復活後ガリラヤに行くと道を示された。
ここには、裏切ったユダ以外11人の弟子たちと、女たちがいました。弟子ヨハネと女たちは、主の十字架の下で死をつぶさに見ました。アマタヤのヨセフの墓に葬られる様子も見ていたと思います。
三日目に、姉妹たちは急いで墓に香油を塗りに行きます。そこで、よみがえられたイエスに出会うのです。マグダラのマリヤは、悪霊から解放された女性です。彼女が、最初にイエスに出会います。女たちは、部屋に鍵をかけて隠れている弟子たちに、主の復活を伝え、預言どおりにガリラヤに生き、そこで主とお会いできますと伝えました。ですが、彼らは一週間経っても行こうとしませんでした。
なぜ、イエスはガリラヤにこだわるのでしょうか。それは、復活がゴールではなく、みことばに従うことが大切だからです。なぜ、彼らはガリラヤへ出発できないのでしょうか。それは、民の目を恐れたからです。
トマスという弟子がいます。この集まりにトマスはいませんでした。トマスのニックネームは「デドモ」といい、「双子」という意味です。彼は、復活を疑っていました。イエスが現れた時も、その場にいませんでした。彼は『十字架の釘後に指を入れて確かめないと信じない』と言っていました。トマスはヨハネの福音書に3度登場します。
1、ラザロの病気の時 ヨハネによる福音書11章
イエスが、ラザロが死んだことを話したときに「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか」と進言しています。
2、最初のイースターサンデーの集まりの時 ヨハネによる福音書20章25節
集まり時にトマスはいませんでした。そのために、弟子が証言している主の復活を信じませんでした。「私はその手に釘の後を見て・・・」と疑っています。
3、八日後の日曜日 ヨハネによる福音書20章26節
八日後の日曜日、弟子たちは「家の中」にいた時、トマスも彼らと一緒にいました。
主は「平安があなたがたにあるように」と弟子たちを祝福されました。イエスは、鍵がかかっている部屋の外からノックしたのではありません。すでに「家の中」、集まりの中におられました。ヨハネの福音書20章27節で、「指をつけて差し入れなさい」とトマスに言われます。主は、トマスの言葉を、集まりの中で聞いておられたのです。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
「デドモ」というのは双子という意味ですが、トマスは「疑いと信仰」という双子のような面を持っていたのかもしれません。彼らは、ガリラヤ(原点)にかえり、みことばによって生きる者に変えられます。「私の主、私の神よ。」は礼拝するという意味です。