このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。
エペソ人への手紙1章13節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「私たちの日毎の糧を今日もお与えください。」マタイによる福音書6章11節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 緊急事態宣言が解除され、日常の生活が戻りつつありますが、続けて対策が必要です。集まりにおいても、制約がありますが、行事を再開できますようにお祈りします。
- 2021年のクリスマス礼拝は、12月19日午前10時からです。
- 12月24日(金)19時からキャンドル礼拝を行います。クリスマスイブの夜、主のご降誕を共に崇めましょう。
- 12月26日10時の礼拝後、会堂の清掃を行います。可能な方はご参加ください。
- 本日、礼拝後にビジョン会を行います。教会員の方はご参加ください。
ディボーションノート「水路のそば」
12月13日(月) | コロサイ人への手紙1章1〜29節 |
12月14日(火) | コロサイ人への手紙2章1〜23節 |
12月15日(水) | コロサイ人への手紙3章1〜25節 |
12月16日(木) | コロサイ人への手紙4章1〜18節 |
12月17日(金) | テサロニケ人への手紙第一1章1〜10節 |
12月18日(土) | テサロニケ人への手紙第一2章1〜19節 |
12月19日(日) | 詩篇86篇1〜17節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
主の祈りから「日毎のいのちの糧」
マタイによる福音書6章9〜13節
主イエスは、群集を見て、集められた弟子たちにメッセージをされました。そこで、イエスは口を開き「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」と教えられています。内容は、キリストの新しい戒めです。
その中で、「祈り」について教えられました(マタイによる福音書6章5節~)
それは、異邦人のようであってはならない、人に見せるためではない、繰り返せば叶えられるというものでもない、言葉数が多ければ良いというものでもない、なぜなら「あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。」(マタイによる福音書6章8節)
では、何のために祈るのでしょうか。すでにご存じの方に教えてあげる、というものではないという意味です。ある方は、全知全能の神にどうして自分の願いを聞いていただく必要があるのでしょうか、と疑問を投げかけられました。
そこでイエスは、この教えの中心である、いわゆる主の祈りを教えられました。この主の祈りの中心は、「御国」であり「日毎の糧」です。
マタイによる福音書6章8節の「あなたがたの必要なもの」とは何を指しているのでしょうか。それは、「御霊の内住」であり、「糧」は「パン」を指します。
ここで言う「パン」てゃ、身体を支える小麦で作ったパンではなく、御父から与えられた「いのちのパン」であるイエス・キリストです。
主は、悪魔の誘惑を受けられた時、「人は。パンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つのことばで生きる。」(マタイによる福音書4章4節)と退けられました。イエスの教えの中心は、「天の御国」であり、「天からのパン」であるご自身です。
マタイによる福音書6章25節で、「ですから、わたしがあなたがたに言います。何を食べようか。何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。・・・空の鳥を見なさい。」と仰っています。ここで記されているのは、「生存の保障」の約束です。主は私たちに、「神の国とその義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイによる福音書6章33節)と記されています。
4つの福音書に記されている「5000人の給食」の奇跡は、イエスが旧約で預言された「救い主」であることの「しるし」と呼んでいます。その後、人々はガリラヤ湖でイエスを見つけます。その時、主は「・・・あなたがたが私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。」と皮肉っています。それは、10人の病人が癒された時、戻って来たサマリヤ人以外の9人は、いやされたことに満足して主から離れたことと似ています。
主から与えられる日毎の糧とは「いのちのパン」です。それは、内住の御霊によって悟ることができます。聖書という食卓には、その日必要な料理が並べられています。身体の食べ物でも、栄養を気にします。みことばによって、いのちに必要な栄養を十分にとる必要があります。
「祈り」はみこころです。それは、天に向けた「喜びのささげもの」であり、献金は「感謝のささげもの」です。無くならない食べ物、永遠の栄養です。