イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。
ヨハネによる福音書4章50節
敬拝
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「信じられないことは信じることから」ヨハネによる福音書14章1〜6節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 県の緊急事態宣言が続いています。会堂での礼拝は午前7時と10時にありますが、配信を受信できる方はお家で共に礼拝してくだされば幸いです。受信できない方は、日頃の注意と共に、密にならないように間隔をあけてお座りください。
- 献金される方は下記に振り込むことが可能です。
沖縄海邦銀行 普天間支店 店番:042 口座番号:653969
単立 恵みバプテスト教会 - 教会の年間スケジュールが大幅に変わっています。特に集まって何かをすることを控えています。この状況でも守られ、主のみこころがされるよう求めます。
- 一日も早く自由に賛美、礼拝できるようにお祈りください。皆様方に平安と祝福をお祈りします。
- 聖書の学びは、火曜日15時と、土曜日11時からあります。ぜひご参加ください。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
「信じられないこと」は「信じること」から
ヨハネによる福音書14章1〜6節
ここ1年以上、街の様子がかなり変わりました。ほとんどの人はマスクをしています。最近、お店に行くと「マスクをしていない人は入らないでください」のような注意書きを見かけます。この暑苦しい真夏ですが、帽子をかぶり、サングラスをして、マスクをつけて、なかなか銀行には入れません。
マスクと言えば、プロレスです。タイガーマスクをはじめ、多くのマスクマンがいます。西部劇では、駅馬車強盗はマスクをしています。マスクをしていると、本当の自分を隠すようです。
案外、私たちは本当の自分を隠して弱さや恐れに気づかれないように生きているのかもしれません。
今は不安な時代です。どこかで恐れがあり、それでも強く見せているのかもしれません。
今日の箇所は、今までも何回もメッセージをさせていただきました。主は、十字架にかけられる前に、弟子たちに最後のメッセージを残されます。「あなたがたは心を騒がせてはなりません」と。今は、主は身代わりに死のうとされています。3年半、主と共に歩んできた彼らは、見える主を失います。また、政治的、宗教的、また文化的勢力から迫害を受け、ますます激しくなっていきます。
「心を騒がせる」という「心」は、たましいのことですが、不安、恐れ・・・などを指します。また、霊的、身体的健康を失う、あるいは殉教さえあるかもしれません。歴史的には、多くの殉教者を出しました。文字通り、命がけの歩みと言えます。
今、「ワクチン」が勧められています。ほとんどの接種場所は予約が必要です。予約するためには、インターネットが早いのですが、難しい人は電話でも可能です。電話を受けるのは、オペレーターと言われる方々ですが、なかなかオペレーターを続けられなくて、2週間くらいで辞める人もいるそうです。理由は「怒り」です。私たちは、基本的に不安があります。その不安は病気や死ですが、コロナ禍はより身近にその病気や死を感じさせるようになりました。私自身も、自分が感染するのではないか、感染者になって家族や教会員に感染させるのではないか、という不安が常にあります。
聞くところによると、ワクチン接種予約の電話はかかりにくく、ある人は、予約開始時間から何時間も電話をかけ続けて、やっとオペレーターに繋がったそうです。
その時、開口一番「どうして電話が繋がらないのか」「もう100回以上かけているんだぞ」「名前を言いなさい、抗議するから」など、一方的に怒鳴られることもあるそうです。
実は、不安は怒りに変わります。二次感情と言います。恐れているだけで怒りを相手にぶつけるのです。それも、立場の弱いと思う人に怒りをぶつけます。そうしないと、感情をコントロールできないのです。このようなことが続くと、一人一人の対応に時間がかかり、電話が繋がらない人の怒りはますます蓄えられていきます。
「心を騒がせてはなりません」というのは、許可令です。「心を騒がせなくてもいいですよ」とのことばです。
それには「平和の秘訣」があるのです。それも三位一体の神の働きによる平安です。
1、父なる神「神を信じ」です。それは、創造主なる神でも全能の神です。私はこの神によって生まれ、支えられています。みなさん、宇宙はすごいでしょう。「実は、わたしが造ったのです。」と。
2、また「わたしを信じなさい」のわたしは、「御子イエス・キリスト」です。イエスは、私の罪からの救い主です。信じる時、罪のさばきから解放され、永遠のいのちに導かれます。この方が、私の主です。強力です。
3、「もう一人の助け主」聖霊の内住です。ヨハネによる福音書14章16〜18節
「もうひとりの」という意味は「御子に等しい」という意味で、罪からの救い主だけでなく、日々の生活における助け主です。実に身近な支えが「共にある」のです。これほどの祝福はありません。「孤児としない」のです。