あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
ヨハネによる福音書25章1〜13節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「10人の娘」マタイによる福音書25章1〜13節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 緊急事態宣言が延長され2021年7月11までになりました。会堂での礼拝もお休みし、再開は7月18日からとします。
- 会堂礼拝を休みにすることが沖縄県のコロナの状況に適しているかどうかはわかりません。信徒にとって、集まって礼拝することは特権であり喜びです。どうしても、何があっても絶やしてはならないと考えます。それでも協力して事に当たりたいと願っています。
- この渦中にあっても主のメッセージが語られていると思います。苦難、災い等の中にあって、何が大切かを悟らされます。「永遠のいのち」です。身体の経験にも限りがあることを。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
「10人の娘」
マタイによる福音書25章1〜13節
4つの福音書は、それぞれ時系列で書かれています。イエスの降誕から神の国に至る永遠までです。
それは1人の生涯、または世界歴史の始まりと終わりでもあります。マタイの福音書は、世界の、あるいは1人の人生の終わりに接していて、23章でエルサレムに入城される主イエス、24章は神のしもべイスラエルのこれから、それは洪水前の時代のようで、人々が普通の生活をしている時に、突然起こる出来事を預言しています。朝貢があるのになぜ突然かというと、人々の興味が神の計画にないからで、みことばに聞く耳を持っていないからです。24章は明確な兆候(しるし)です。
25章にも書かれている主題は「天の御国」です。「それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、10人の娘にたとえることができます。」「結婚」のたとえです。
イスラエルでは、結婚は婚約から始まります。ヨセフとマリヤも婚約していましたが、結婚式はまだで、一緒に住むことはなく、やがて花婿が花嫁の家に迎えに来て、花婿の家で式と祝宴があり、正式に夫婦として認められ披露されます。
マタイによる福音書は、選民イスラエルの民に書かれた預言書で、王として来られるイエスの系図から始まり、世界宣教の命令で終わっています。
マタイによ福音書24章44節「人の子(イエス)は思いがけない時に来る」とあり、これは艱難時代というしるしのある地上再臨のことではなく、「思いがけない」時に来られる教会の空中掲挙を預言しています。ここには「忠実で賢いしもべ」と「悪いしもべ」が描かれています。
そこでマタイによる福音書25章の「10人の娘」のたとえ話です。花婿が花嫁を迎えに来ます。それはいつかは分かりません。中東で旅をするということは「夜中に訪ねて来た友人」の時のように、何日の何時に着くのかわからないのです。夜中になることも珍しくはありませんし、失礼にも当たりません。それほど旅は過酷なのです。
10人のうち5人は「賢く」、5人は「愚か」でした。これはマタイによる福音書24章の「しもべ」のたとえと同じです。賢いしもべは準備万端で、愚かなしもべは勝手に遅くなると決め込んで準備していませんでした。
10人の娘も同じです。5人は準備していて、5人は準備していなかったのです。
ここでの準備は「油」です。ともしびは10人とも持っていたのですが、油は5人だけが準備していました。
賢い娘たちは「自分のともしびと一緒に、入れ物に油を入れて持っていました」。油は聖霊の型です。御霊の油注ぎ、聖霊のバプテスマを受けていました。自分という器に、聖霊の内住を与えられていたのです。
生涯におけるクリスチャンの1番の希望は、主にお会いすること、空中掲挙にあります。ですから、昼間であろうと夜中であろうと「その日」を心待ちにしています。花婿が将来の花嫁である娘を迎えに来られる時、娘の家に入ることはありません。家の前でしもべが号令をかけます。「さあ、花婿だ。迎えに出なさい。」(マタイによる福音書25章6節)と。
愚かな娘たちは「ともしび」は持っていましたが、油の用意をしていませんでした。聖霊のバプテスマである新生を敬虔をしていませんでした。ともしびは「芯」だけ燃えていて、やがて燃え尽きて消えてしまいます。油があれば、油が燃えるので、芯は燃えません。油の尽きない限り燃え続けるのです。もちろん、聖霊の油注ぎは、1対人では不可能で、主から個人的に、1人1人にしか買うことができません。ここでの愚かな娘はイスラエルです。彼らはメシヤが再臨されることを知っていました。しかし、その用意をしていなかったのです。終わりの備えは油を手に入れることです。「だから目を覚ましていなさい」(マタイによる福音書25章13節)