あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。
ペテロへの手紙第一1章9節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「人の構成(霊・魂・体)の守り」テサロニケ第一5章23〜24節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 9月13日から会堂での礼拝を再開しています。午前7時からの早朝礼拝、午前10時からの礼拝です。インターネットでの配信も続けて行う予定です。祈りに覚えてください。
- 聖書の学びも再開しますので、時間の許される方はご参加ください。
- 会堂での集まりには、マスク着用や三密を避けられることを望みます。何分、神の恵みと助け、守りがあるようにお祈りします。
- 2020年10月24〜25日に特別集会「これから(終末)」を計画しています。メッセージは、平岡偉策師(姫路バプテスト教会牧師)です。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
10月4日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
10月6日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
10月7日(水) | 20:00 | 聖書の学び、祈りの時 |
10月10日(土) | 11:00 | 聖書の学び |
メッセージ
「人の構成(霊・魂・体)の守り」
テサロニケ第一5章23〜24節
先日のタイムス大弦小弦欄に「あたりまえ」について記されていました。高校野球の球児のスパイクの色についてですが、私たちは何となく思い込んでいて気づかないことが多々あると思います。
その1つに、人間の構成があります。それはクリスチャンもですが、人は霊魂と体とに分けられ、霊と魂の違いを知りません。聖書だけが分けている真理です(ヘブル人への手紙4章12節)。テサロニケはギリシャの町で、聖書はギリシャ語で書かれていますが、彼らは霊と魂を別々に考えます。
1、「霊」
ギリシャ語では「プネウマ」と言い、これは神との関係の部分です。ですから、「神を知り」礼拝するのも「霊」とまことによるとあり、罪を犯して死んだのも、この「霊」の部分で、霊的に死んでいると表現します。また新しく生まれる、救われると言うのは、内住する聖霊によって「霊が生かされる」新生すると言えます。
2、「魂」
ギリシャ語では「プシュケー」と言い、「知識・感情・意思」によって構成されています。日本語では「心」あるいはその基準を「良心」と言っています。救われて霊が新生すると、聖霊につながれた心となり、パウロは「正しい良心」と表現しており、それは御霊に導かれた「主は御霊」状態とされた歩みを指します。人は魂によって自分を知り、他者と交わり、自己実現に生きます。
魂の部分に属するのは「行い」「聖化」などです。聖化は、新生した時、神の子どもとされた、それは聖く認められた状態で「身分的聖化」と言えます。そして、この瞬間、聖化(漸進的)が始まるのです。キリストの聖さは完全を意味します。そのためにいよいよキリストに似た者へと変えられていくのです。新生した時は「幼子」、肉の働き、罪を犯すのも「魂の意思の結果」です。
創世記2章7節で、創造主は「大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹きこまれた。それで人は生きるものとなった」とありますが、この「いのちの息」は「ニシマー」と言い、複数形です。それは「霊と魂がつながって」おり、神のかたち、永遠のいのちがあったことを示しています。
しかしアダムが罪を犯した時、「死(サナトス)」が入り人の魂から霊が分離されたのです。そのために「いのちの息」は「魂・心」だけが残されたのです。
ノアの時代、人は悪いことだけに傾き「わたしは今、いのちの息のあるすべての肉なる者」を滅ぼすことを示されましたが、この時の「いのちの息」は「魂」のことです。神は罪に対する怒りと憎しみがあります。罪を犯せば、その者が死ぬのです。
イエス様を信じ救われるというのは、魂に新生した霊がつながれ(関係の回復)、クリスチャンの魂は聖霊につながれ、助けられ、導かれて生き、成長できるのです。
3、「体」
ギリシャ語で「サルクス」といい、その役割は「住まい」です。以前住まいは「肉」のためでしたが、新生してからは「聖霊の宮(住まい)」とされました。主人が代わったのです。今までは「自分が自分の主人」でしたが、これからは「イエスの御霊」が私の主人です。十字架の血という代価を払って買い取られたのです。
世(人)の終わり、責められる所(罪)のないように生きたいものです。