あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。という第二の戒めも、それと同じように重要です。
マタイによる福音書22章39節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「神の主権」ヨハネによる福音書3章1〜6節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 9月13日から会堂での礼拝を再開いたします。午前7時からの早朝礼拝、午前10時からの礼拝です。
- 聖書の学びも再開しますので、時間の許される方はご参加ください。
- 会堂での集まりには、マスク着用や三密を避けられることを望みます。何分、神の恵みと助け、守りがあるようにお祈りします。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
9月13日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
9月15日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
9月16日(水) | 20:00 | 聖書の学び、祈りの時 |
9月19日(土) | 11:00 | 聖書の学び |
メッセージ
「神の主権」
ヨハネによる福音書3章1〜6節
「なぜイエスを信じたら救われるのか」それは、イエスが罪人の身代わりにその罰を十字架で負ってくださったからです。しかし、なぜそうなのかが今日のテーマです。
ヨハネによる福音書3章は「新しく生まれる」ことが記されています。「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」と主は仰せられました。これを聞いているのは「ニコデモ」というユダヤ教パリサイ派でサンヒドリン議会(国会)の議員です。特にパリサイ派は他の派と違って厳格に律法に生き、自他共に尊敬されていました。聖書は彼を「ニコデモという名の人がいた」と紹介しています。「名」が強調されているのは、多くの人が知っている、あるいは有名、尊敬に値するなどの意味があります。
しかし彼は「夜」イエスのもとに来ます。人に見られたくなかったのでしょう。だったら行かなかったら良かったのに。なぜイエスに会いたかったのか。一つの理由は、自身の確信も平安もなかったからです。行いに重点を置くことは「どこまで」の天上、ゴールはありません。多分100%できても完成したとは思えないのです。
彼は、その答えをイエスに見つけようとしました。理由は「しるし」を知ったからです。その前に「カナの婚礼」事件がありました。ただ水をぶどう酒に変えられたイエスの奇跡は少数の給仕たちしか知らなかったはずです。それでもニコデモたちの耳に入りました。
「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神はともにおられるのでなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」(ヨハネの福音書3章2節)
「私たち」と記しているので、パリサイ派のある人々はカナ事件を知っていました。その中でもニコデモはどうしても聞きたかったのです。案外、上から目線です。「私は知っている」と。でもあえて水をぶどう酒に変えた事実、目的、意味を知りたかったのです。理由は当時のイスラエルの民はメシヤを待ち望んでいました。特にローマ帝国からの圧政に抵抗していたのです。現在でも全てのクリスチャンたちが主の再臨を待ち望んでいるように。
イエスの答えはニコデモの質問と少しずれていました。神の国です。「人は、新しく生まれなければ神の国を見ることはできません」(ヨハネの福音書3章3節)。神の国はイスラエルにとっても大きな希望です。メシヤの来臨は神の国の入り口と信じていたからです。
では新しく生まれるためにはどうしたら良いのか。それは「救いの必要」です。パウロはピリピの「救われるためには何をしなければなりませんか」と聞いた牢番に「主イエスを信じなさい。そうすれば・・・」(使徒16章31節)と答えましたが、ニコデモは再生「もう一度、母の胎に戻って・・・」やり直すのか、と。彼はユダヤ教という宗教家です。宗教は「やり直し」を求めます。何度も、何度も。イスラエルの民は毎年、あるいは罪を犯すごとに犠牲の羊をささげました。素晴らしい悔い改めです。しかし、やがて動物をささげさえすればいい・・・という麻痺感覚になっていき、罪が矮小化していきました。主は、やり直すという人間側の行為によってではなく、新しく生まれることを示されました。それは行為によって到達、回復するのではなく、新しく生まれる、アダムの原罪の相続から手を切って、新しく主にあって生まれる、イエスのいのちにつながれることを示されました。それも「水(みことば)と御霊(聖霊の働き・助け)によって」ここには行いではなく神の恵みによる事が示されています。では、なぜイエスを救い主として信じらたら救われる、神の国に「入る」のでしょうか。神の主権です。神はエソウではなくヤコブを選んだ理由です。