2020年5月24日

あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になってあなたはそれを見出す。あなたの受ける分を七、八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかをあなたは知らないからだ。
伝道者の書11章1〜2節

敬拝

  • 黙想 静かに礼拝に備えます
  • 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
  • 祈り
  • 勧め 「杖」出エジプト記4章1〜5節
  • 報告
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 教会での礼拝にご参加くださり心から感謝いたします。まだまだ以前のように礼拝することは事情によりできませんが、共に集まり主をほめたたえましょう。また、手洗いやマスク着用等、交わりにおける注意をできるだけ守り、ご参加できるようにお祈りいたします。
  • 現在、豊見城と名護の集まりを中止しています。
  • 10時からの中城礼拝を12時から配信しますので、機材のある方はお聞きください。

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

今週の予定

24日(日)10:00一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。
26日(火)15:00聖書の学び
27日(水)20:00聖書の学び(黙示録)、祈りの時
30日(土)11:00聖書の学び(ローマ人への手紙)

メッセージ

「杖」出エジプト記4章1〜5節

「転ばぬ先の杖」という格言がありますが、杖は羊飼いのただ一つの道具です。その役割は三つ。

  1. 自分を支える
  2. 羊を守る
  3. 外敵を退ける

モーセはエジプトで生まれ、王家の家族として育てられ、その文化、教育を受けました。しかしある日、同胞の民がいじめられているのを見て、義憤から助けに入り殺人を犯すことになりました。ミデアンに逃れたモーセは結婚し家庭を持ちますが、この地も外国で、寄留者であることに変わりはありませんでした。神からの約束の地カナンに住むことは生涯ありませんでした。エジプトにいた民は王の代替わりと共に益々労苦が増し、民は神に叫び始めます。神は、その民をエジプトから解放する役割としてモーセ(意味は救い)を用いられました。モーセが神の山ホレブにいた時、御使が現れ「今行け、わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民イスラエルの子らをエジプトから導き出せ。」(出エジプト記3章10節)と命じましたが、モーセは即座に断っています。「私は何者なのか。」以前に失敗した出来事をよく覚えており、自分にはその力も指導力もないと苦悩しました。さらに、「もし私がイスラエルの民に言っても、うそだ、と信じてもらえないだろう」とも考えます。

この時神は一つのしるしをモーセに与えます。それは「わたしがあなたともにいる」(出エジプト記3章12節)というみことばでした。それでもモーセは神の命を拒んでいます。「私には知恵も力も意欲もないし、口下手です。」と以前はあった意欲が今はないと言っています。

そこで神は「あなたが手に持っているのは何か」と尋ねます。モーセは「杖です」と答えます。杖は羊飼いにとって大切な道具です。すると神は「それを地に投げよ」と言いました。荒野で羊飼いをしていたモーセにとって、杖は自分を支え、羊を導き、外敵から守るための大切な道具です。神はそれを「投げよ」、つまり「捨てろ」「手放せ」と言いました。モーセはみことばに従って杖を投げると、それは「蛇」になりました。蛇と言えば、アダムとエバを誘惑し罪と死をもたらしたサタンの型です。モーセは怖くて後ずさりしました。

数年後イスラエルの民は神に不信仰になり、蛇に咬まれ、青銅の蛇を竿につけて上げることになります。これはイエスの十字架の型でもありました。

この蛇にはどのような意味があるのでしょうか。「私たちはこの世に住んでいる寄留者」です。エペソ人への手紙2章1〜3節によると、この世は「空中の権威を持つ支配者」サタンの支配により、「肉と心の望むことを行い」という自己実現の世界、価値観の中に生きていました。「世」については、第一ヨハネ2章15〜17節に「世をも世にあるものをも愛してはならない」と戒め、それは「砂の上に家を建てる」空しい生き方だと記されています。

神はモーセに、その「世」の力という杖を手放しなさいと教えたのです。それは聖めて用いるためです。この法則は、アブラハムが愛するイサクをモリヤでささげた時と同じで、再度与えられています。私たちの父なる神も、愛するひとり子を与えてくださいました。それは多くの信じる者をサタンの手から取り戻すためです。(ヨハネの福音書3章16節)

神に生きるとは、御霊に導かれて共に生きることであり、そのために自分の持っている杖を手放すことから始めます。それまでの優先順位は、物、人、神ですが、御霊に導かれると「主は御霊」とされ、神、人、物に変えられます。羊飼いは問題が起こるとまず自分の力という杖に頼ります。そしてどうしようもなくなってから「神よ」と叫ぶのです。御霊に生きるとは、いつもまず「神ありて」から始めるのです。自分の手から、神の手に渡しませんか。