わたしは彼らの上に牧者たちを立てて、彼らを牧させる。彼らは二度と恐れることなく、おびえることなく、失われることもない。ー主のことば。
エレミヤ書23章4節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「回復」エレミヤ書29章11節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 沖縄県のまん延防止期間が延長されるようです。引き続き、礼拝の配信や、少人数での集まりとします。
ディボーションノート「水路のそば」
1月31日(月) | イザヤ書21章1〜17節 |
2月1日(火) | イザヤ書22章1〜25節 |
2月2日(水) | イザヤ書23章1〜18節 |
2月3日(木) | イザヤ書24章1〜23節 |
2月4日(金) | イザヤ書25章1〜12節 |
2月5日(土) | イザヤ書26章1〜21節 |
2月6日(日) | 詩篇93篇1〜5節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
回復
エレミヤ書29章11節
神は、その存在とメッセージを知らせるために、一つの民族を選ばれました。アダムから始まったその歴史は、神に対する罪のために、呪われたものとなりました。罪とは「まことの神を神としない」ことですが、アダムの子孫は、すべて罪人となりました。「呪い」というのは、「断絶」を意味し、神のいのちとの断絶が起こり、死がもたらされたのです。(創世記3章15節)
しかし、神は呪いの状態を良しとするのではなく、すぐに「救い(回復)」の計画を立てられます。(創世記3章16節)
地上のすべての人を対象とし、そのために一つの民族を選ばれます。ユーフラテス川の川向うの族長アブラムです。彼は神の声を聞き、そのメッセージに従って父の家を出て、約束の地(カナン)を目指します。アブラムは「信仰の父」と呼ばれていますが、それは「神の声を聞き、従うこと」に由来します。神は、彼に空の星を見せて、子供のなかった彼に、子孫が星の数のようになると仰せられました。アブラムは、それを信じたのです。
「信仰」とは、「望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させる」(へブル人への手紙11章1節)ものです。
例えば、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16章31節)との聖書のみことばを聞き、そのまま受け入れることです。
アブラハムは、カナンに住み、イサクが生まれ、ヤコブが生まれました。神は、その存在とメッセージの仲介の民として「ヤコブ」を選び、みことばの預言を委ねました。聖書の著者は創造主ですが、記者はほとんどがイスラエル人です。
それは、イスラエルの民を通して、すべての人に、神の実在と預言がなされているからです。神に選ばれたのですがから、「律法(規則)」が必要です。十戒は代表的で、その第一戒「あなたは、わたしのほかに他の神々があってはならない」というのは、当然守られるべき戒めです。
イスラエルの歴史は波乱万丈です。2000年近く国土をもたず、その罪と迫害のために、世界を流浪することになりました。川を流れる根無し草のようです。
その中でも、聖書が一番文字を割いている事件は「バビロン捕囚」です。エレミヤの時代、民の罪のために、バビロンによって滅ぼされ、奴隷としてバビロンに連行されます。エレミヤの預言は、その期間「70年」(エレミヤ書25章11節)とし、その帰還計画が示されます。
神の怒りは、エレミヤ書29章16~19節で、「・・・私は剣と飢餓と疾病で彼らを追い・・・」とあります。原因は「彼らがわたしのことばを聞かなかったからだ。」(エレミヤ書29章19節)です。神を信じないことが、これほど神の怒りに触れ、呪いをもたらすことになるのです。人の歴史は、いかに悲惨なものかを物語っています。
神は、預言者によって帰還(回復)の計画を持っておられます。
「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。ー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。・・・わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。」(エレミヤ書29章11~14節)
イスラエルは「ひな型」です。
神は、罪のために神から遠く離れている私たちを、元の場所(神のみもと)に帰還させようとしておられます。神のことば、聖書が与えられたのも、神の愛の証です。バビロンは、民の始まりのルーツです。人は神から来たのです。神のみもとに帰るように求めておられます。