あなたの若い日に、あなたの創造主を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。
伝道者の書12章1節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「人生は航海」テモテへの手紙第一1章12〜20節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 県の緊急事態宣言が9月30日まで延長されました。会堂での礼拝は9月26日まで現在の状況で推移します。10月からの集まっての礼拝が再開できるように願っています。
- 献金される方は下記に振り込むことが可能です。
沖縄海邦銀行 普天間支店 店番:042 口座番号:653969
単立 恵みバプテスト教会 - このような状況下、皆様の霊肉共に守られるように心からお祈りいたします。
今月のディボーション
9月27日(月) | 創世記24章29〜67節 |
9月28日(火) | 創世記25章1〜34節 |
9月29日(水) | 創世記26章1〜35節 |
9月30日(木) | 創世記27章1〜29節 |
10月1日(金) | 創世記27章30〜46節 |
10月2日(土) | 創世記28章1〜22節 |
10月3日(日) | 詩篇74篇1〜23節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
人生は航海
テモテへの手紙第一1章12〜20節
使徒パウロは、若い弟子テモテに手紙を書きました。テモテは教会の牧会者です。これから主に在って生きていくために必要な勧めを託しました。それには2つの部分があり、1つは、テモテ自身の信仰生活であり、もう1つは牧会者としての働きでもあります。双方を公開に例えています。
パウロ自身も、広大なローマ帝国内の旅に船を用いました。歩行が不自由だったと言われるパウロにとって、船旅は大きな助けとなったでしょう。また、テモテは若いということで、霊的リーダーとしての資質が問われていました。
現在の交通でも、不慮の事態がありますが、当時の船旅はそれこそ命懸けと言えました。特に、嵐による破船、海賊の出現など、思わぬ出来事が次々とやってきました。パウロは「私を強くしてくださる、私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。」(テモテへの手紙第一1章12節)とあるように、強いと思われていますが、弱さを持っていました。パウロの弱さというのは何かはわかりませんが、主イエスによって強められていたことを証しし、強くしてくださった方に感謝しています。強いと思われるパウロも、実はその強さは「主にあって」ということのようです。
人間は、神様によって造られた高価で尊い、愛されている作品です。ということは、人には生きる目的も計画も、そして使命も備えられています。その使命は、パウロもテモテも「主の復活の証人」という務めに任命されていたのです。
それは、神の御子が来られた目的でもあります。キリストが来られた目的は「罪人を救うため」です。(テモテへの手紙第一1章15節)
では、罪とはなんでしょうか。それは、パウロ自身の証では、以前の私は(今は変えられた)神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者でした。(テモテへの手紙第一1章13節)これを見ると、なるほど、このような人は罪人に違いないと納得できます。全能の神を冒涜し、キリストのからだである教会を迫害し、それも人間の宗教的権威を振りかざして捕らえ、鞭打ち、投獄させ、ある時は石打ちのリンチにかけたのです。こんなに悪い人はいないでしょうし、パウロ自身も「私は罪人のかしらです」(テモテへの手紙第一1章15節)と認めています。教会の人々はパウロの名前を聞くだけでも恐れていました。そのパウロが改心し、悔い改めて主を信じたと聞いても、信じられなかったでしょう。
この、神を冒涜するというのは何を言わんとしているのでしょうか。パウロは、自分は全能の神のために律法を守り、「イエスにつく」という異端として迫害していた、いわゆる神のために働いていたとも言えます。自分のために権威を使うことの恐ろしさを示しています。
神を冒涜する、迫害する、暴力を奮うという罪は「自分は正しい。相手が悪い。間違っているのは相手だ」という高慢、人を蔑み差別するという罪です。
しかし、パウロは「あわれみ」を受けました。(テモテへの手紙第一1章16節)その意味は「赦された」ということです。
「自分の十字架を負ってわたしに従いなさい」とありますが、十字架は「赦し」です。その赦しを信仰によって受け取るのです。相手が悪いという場から改心し、確かに悪い相手も、そして例外ではない自分も赦していく強さこそ、主からしか得られない聖霊の働きです。
イエスの生涯の特徴のひとつは「寛容」です。寛容は、人間には持ち合わせていません。聖霊の賜物です。さばくとき、必ず相手が悪いと決めつけ、自分に非があるとすれば「言い訳」がいくつもわいてきます。
主は、自分を処刑している兵士たちにも、父の赦しを求めておられる全能の神です。