見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。
イザヤ書43章19節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 報告
- 祈り
- 勧め 「耐えられない試練と脱出の道」コリント人への手紙第一10章13節
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 会堂における礼拝について、本日16日と23日はお休みです。それ以降は状況をみながらの判断となります。また聖書の学びと祈り会は8月中はお休みとします。祈りの課題等ありましたら、牧師の携帯電話かメールでご連絡ください。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
「耐えられない試練と脱出の道」コリント人への手紙第一10章13節
世界は私たち自身が経験した事のない状況にあります。歴史的には何度もありましたが未曾有の領域に入っています。それは教会もその中にあり、年頭に計画した予定もことごとく中止、変更しなければならなくなっています。恐らく誰も礼拝の休みを連絡しなければならないとは考えていなかったと思います。それは教会の「21世紀ビジョン」や、日々の生活や人生の計画さえ影響を与えています。
そのような中でみことばは「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道もそなえていてくださいます。」(コリント人への手紙第一10章13節)の導きに立ち位置を持っています。
今回の危機は、私たちを原点に帰らせます。主イエスは昇天される前にみことばを残されました。主が天に帰られる時、弟子たちはこれからどうすれば良いのか途方に暮れていたのです。そこで主は「ですから(イエスの権威において)あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の御名において彼らにバプテスマを授け、あなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイによる福音書28章19〜20節)
それは宣教の拡大。当時、ヨハネたちは弟子となるために、漁師としての職業と父の家から出て従いました。何を宣べ伝えるのでしょうか。「イエスの死と復活」(使徒1章22節)で、弟子たちはその証人とされ主の弟子とすることを命じられました。そのためにバプテスマ(罪に死にキリストのいのちに生きる証)を授け、すべての事(みことば)を守るように教え、世が終わるまで主がともにおられると約束されたのです。
主からのみことばの大切さを日々噛み締めている昨今です。今回の「コロナ禍」は、教会の新しい働きを拓いてくださいました。これまでは、どうしても「集まる」(ローマ人への手紙12章1節)大切さを強調してきましたが、可視的集まることによっての課題が示され、集まることによらない集まりを模索しなければならないことと相成りました。「強いられた恵み」として、私たちはこの現実に対処しなければならなくなっています。しかし、この事は世の中にすでに存在し学ぶ必要に迫られました。ウェブ会議やテレワークを可能にするインターネットの普及です。医学も以前の「ペスト」の時とは違い、新しいウイルスについての知識が格段に進歩しています。もちろん現場で戦っている医療従事者の献身的働きがあってのことです。教会での礼拝の配信も遅らせながらも開始し、中にはまだ信じていないご家族も参加している、内地にいる家族も見ているよ、と会堂に集まることのできなかった方々も集まってくださっている事は大きな恵みです。神は、何を持って宣教されるかは、私たちの固い頭を砕いて実践されているのかもしれません。
このような試練の時期にあって試練とともの脱出の道とは何でしょうか。脱出の方法と言っていません。「道」です。道と言えば主はヨハネの福音書14章6節で「わたしは道であり、真理であり、いのちです」と仰せられました。脱出の道とは方法ではなくイエスその方です。それは「インマヌエル」の主です。主と共に歩む道はどのような荒地も平安です。イザヤ書43章19節に「見よ。わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。」と。コロナ禍は、人を肉体だけでなく心も荒れさせています。パウロは「主はその全てから私を救い出してくれました」(テモテ第二3章11節)続けて「みことばを宣べ伝えなさい。時がよくても悪くても。」(テモテ第二4章2節)どうして、この方以外に救いはないからです。