2022年7月24日

愛するものよ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。

ヨハネの手紙第三2節

敬拝

  • 賛美 主のご栄光をほめたたえます
  • 祈り
  • 勧め 「信仰とは何か」マルコによる福音書5章21~24節
  • 献金
  • 報告
  • 頌栄
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 今年の夕涼み会は7月31日(日)19:00~教会で予定しています。ですが、状況によっては中止となります。
  • 今年の夏季キャンプは8月8~10日に奥間ビーチで行う予定です。講師は、信仰バプテスト教会の吉田師をお招きしています。定員は20名となっています。詳細はチラシをご覧ください。
  • 先週から、婦人のための祈りの時間がスタートしています。2階の奥の左側の部屋です。
  • 教会学校の奉仕者を求めています。子供たちの信仰のためにぜひ。

ディボーションノート「水路のそば」

7月25日(月)コリント人への手紙第二12章1〜31節
7月26日(火)コリント人への手紙第二13章1〜13節
7月27日(水)ヨハネによる福音書8章31〜59節
7月28日(木)ヨハネによる福音書9章1〜23節
7月29日(金)ヨハネによる福音書9章24〜41節
7月30日(土)ヨハネによる福音書10章1〜21節
7月31日(日)詩篇118篇1〜29節

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

メッセージ

信仰とは何か

マルコによる福音書5章21~24節

へブル人への手紙11章1節には「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」とありますが、望んでいることも、目に見えないものも、将来的なものです。へブル人への手紙11章には、具体的に信仰に生きた人々が証されています。今日は会堂司ヤイロの証です。

1、どなたを

ヤイロは、ユダヤ教の会堂の管理人をしていました。会堂では、律法が朗読され、その人選等の管理をし、精通していたと考えられます。

その立場に在る人が、イエスのところに来たところが記されています。

なぜイエスを知ったのか、なぜ来たのか、おそらくイエスのうわさを聞いていたか、教えられていたのでしょう。彼は、イエスのところに来ると、すぐにその足元に「ひれ伏した」とあります。礼拝をささげたのです。それは、旧約に精通していたであろうヤイロが、このイエスこそ、預言されたメシヤであると信じたのです。ヨハネの福音書4章2節には、「人となって来られたイエス・キリストを告白する霊はみな神からのものです。」とあります。世界には、人が神になったというのは時々聞きますが、神が人となられたと証しする方は唯一、ひとりだけです。

ヨハネの福音書1章1節には、「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」と人になられた創造主が証されています。

2、なぜ

ヤイロがイエスのもとに来た目的は、娘のいやしです。「娘は死にかかっていた」とあり、相当重病だったようです。ヤイロにとっての願いは、救われることです。この救いは、病からの救いで、いのちがあるようにと願っています。そこでイエスを家に迎えて、按手してもらいたいと願っています。「按手」は、共に負う意味があります。幕屋で礼拝するとき、羊をささげますが、その時、羊に按手して、自分の身代わりのささげものとします。

ヤイロは、家に向かう途中、2つの問題が起きます。1つは、長血を患った女がイエスを呼び止める結果になります。長い時間がかかったように感じたでしょう。次に、家から悪い知らせがきます。「娘は死んだ」のです。この時ヤイロの信仰が試されます。確かにイエスにに来ていただく目的ななくなったのです。恐れていたことが現実になります。イエスは「恐れないで、ただ信じなさい」と言います。

3、どうする

ここでは、ヤイロの答えが記されていません。ですが、イエスとともに家に向かっています。イエスを信じているのです。なぜ、イエスは娘の死を聞いたときも「では帰ります」とされなかったのです。

イエスは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブだけを連れて。ヤイロの家に着きます。

ここでイエスは、神が人として来られた目的を示されます。死からの復活です。旧約聖書でも、人の死を「眠った」と記しています。

人々は、取り乱して大声で泣いたりわめいたりしていました。娘が「亡くなった」からです、それはもうどうすることもできない。永遠の別れ、滅びです。しかし、イエスは「死んだのではない。眠っているのです。」確かに身体は死んだ(息も止まり、呼吸もしていない)のです。しかし、いのちの霊は眠っている、やがて目覚めることを宣言されたのです。ヤイロは、病のいやしを願っていたのですが、更にすばらしい祝福を見ます。人知を遥かに超えたイエスの力です。あのラザロの時と似ています。「少女よ。あなたに言う。起きなさい。」ヤイロとその家族、弟子たちは人となられた神の力を目の当たりにします。