この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、果たしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。
使徒の働き17章11節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「最も大切なこと」コリント人への手紙第一15章1~4節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 本日2022年4月3日(日)は教会楽校の進級式です。おめでとうございます。主の祝福を祈ります。
- 来週2022年4月10日(日)にイースター記念バプテスマ式を計画しています。主を救い主として信じ受け入れられた方は受浸してください。
- 2022年4月17日(日)イエス・キリストの復活を記念し、イースター礼拝を行います。主と同じように、やがて与えられる復活のからだに感謝し、ゆだねましょう。
ディボーションノート「水路のそば」
4月4日(月) | エペソ書3章1〜21節 |
4月5日(火) | エペソ書4章1〜32節 |
4月6日(水) | エペソ書5章1〜33節 |
4月7日(木) | エペソ書6章1〜24節 |
4月8日(金) | ヨシュア記1章1〜18節 |
4月9日(土) | ヨシュア記2章1〜24節 |
4月10日(日) | 詩篇102篇1〜28節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
最も大切なこと
コリント人への手紙第一15章1~4節
「完了した」、ギリシャ語で「テテレスタイ」、これはイエスが十字架上で語られたことばです。それは、負債の完済を意味します。聖書では、罪を神様への負債に例えられています。
以前、中古車を購入したことがありますが、気に入った車を見つけ、店主に購入の約束をしました。店主は、「手付金を払ってください、そうすれば、もうあなたのものですから。他のお客さんには販売しません。」と約束しました。後日、残りの代金をもって引き取りに行き、自分の所有となりました。支払いを「完了(完済)」したのです。イエス・キリストの十字架は、信じる者の罪という負債が完済するためです。
人は、神の恵みによって救われます。ただ信じるだけです。というと、そんなうまい話しはない、救いを手に入れるためには、相応の犠牲が必要でしょう、という方がいます。
確かに、恵みはうまい話しです。うまい話には、相応の犠牲が必要です。ですが聖書は、その犠牲を、救いを受ける私自身ではなく、イエス・キリストが「身代わり」に受けて(下さった)のです。この情報が福音です。
なぜ「信じるだけ」なのでしょう。
私たちは、行い(善行)による救い、積み重ねが「良きもの」を得る条件だと考えます。確かに、世界はそのシステムです。
しかし善行は、それぞれ宗教によっても違います。例えば、エホバの証人は、月90時間以上の伝道奉仕をしますが、救いの確信はありません。罪を犯した逃亡者が、良い行いをしたから、犯行自体が帳消しになることもありません。
聖書は、恵みによる信仰による救いです。どんな罪でもです。
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われるのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」エペソ人への手紙2章8~9節
確かに「蒔いた種は刈り取らなければなりません。」ガラテヤ人への手紙6章7、8節に「思い違いをしてはいけません。神はあなどられるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。自分の肉に蒔くものは、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔くものは、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」
「罪の報酬は死です。」ローマ人への手紙6章23節
罪は、神の怒りを招き、その報酬(報い)は、死です。永遠の滅び、地獄です。救いは、ここからの救いです。あなどりは危険です。
コリント人への手紙第一15章1~4節に、
・救いの方法「信仰」
・対象「神」
・内容「最も大切なこと」 イエスの死、埋葬、復活です。
恵みは行いです。それは「私たちの」ではなく、「人となられた神」の行いです。
以前、新聞に尋ね人欄がありました。わずか2行ですが。
「息子へ、すべて問題が解決した。すぐ帰れ。父」
神は、今も私たちが神のみもとに帰ってくるように求めておられます。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」マタイによる福音書11章28節