人はみな草のよう。その栄はみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ。
ペテロの手紙第一1章24~25節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「神の子どもとされる祝福」ガラテヤ人への手紙3章23~29節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 本日(2022年3月13日)礼拝後にビジョン会があります。教会員の方はご参加ください。
- 2022年3月20日(日)午後12時から、2022年教会総会を行います。教会員の方はご参加ください。もし参加できない場合は、委任状をご提出ください。
ディボーションノート「水路のそば」
3月14日(月) | イザヤ書57章1〜21節 |
3月15日(火) | イザヤ書58章1〜14節 |
3月16日(水) | イザヤ書59章1〜21節 |
3月17日(木) | イザヤ書60章1〜22節 |
3月18日(金) | イザヤ書61章1〜11節 |
3月19日(土) | イザヤ書62章1〜12節 |
3月20日(日) | 詩篇99篇1〜9節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
神の子どもとされる祝福
ガラテヤ人への手紙3章23~29節
イエスを、個人的に救い主として受け入れた時、自分の置かれている立場、役割が大きく変化していることに気づきます。
それは、「しもべ」であった者が「子ども(家族)」とされる特権です。ヨハネによる福音書1章12~13節には、「しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意思によってでもなく、神によって生まれたのである。」とあります。
それは、「サタンのしもべ」として罪の中にいた私たちが、イエスのしもべになるのではなく、イエスの家族に加えられる、それも特権(恵みによる)であると招いておられるのです。
「子ども」というのは、2つの意味があります。
1、未成年
2、成年
旧約時代のイスラエルの民も、「神の子どもである」とありますが、ほとんどは「しもべ」として描かれています。与えられた律法を「守る必要」から、「しもべ」とあるのです。
旧約には、十戒を始めとして、600以上の律法がありますが、新約には、そんなに多くありません。それは、家族としての立場であり、父のカラーに生活を染められているからです。ですから、父は子どもである自分に「どうあってほしいか」は交わりを通して教えられています。
もう1点は、細かく指示されなくても、みことばから聖霊が内住されて導いてくださっているということです。例えば、唯一の創造主を信じたわけですから、他の神々に心が移ることはありません。御霊は、偶像に対してどのように接したらよいのかを示してくださるからです。
ガラテヤ人への手紙3章27節の「キリストにつくバプテスマを受けた」というのは、正に聖霊によるバプテスマで、キリストとともに一体化する(神の家族という交わりの構成員)となり、古い(以前の)私は、キリストとともに十字架で死に、新しい私は、イエスの復活のいのちに生かされることになったのです。
それを、別の言い方で「キリストを着る」といいます。ローマ社会では、「上着」のことを「トーガ」と言い、「加えられた」という意味になります。ゴルフのマスター大会で優勝すると、緑の上着を着せられます。自分で着るのではありません。主催者が着せてくれます。それは、優勝者は今までのチャンピオンの仲間に「加えられた」ということを意味しています。旧約では、人が死んだ時「先祖に加えられた」と記しているのも同じような意味です。
この世では、「生まれる」「子ども」などは、民族の違い、男女の違い、奴隷と自由人などの区別がありますが、神の子どもには、このような区別はありません。「みな」キリストのゆえに「一つ」だけです。それは、人間的な血筋ではなく、キリストの血によってです。
「アブラハムの子孫」という表現は、全能者がアブラムと交わした契約(約束)のゆえです。それは、信仰による全き自由です。それも、彼から出る「ひとりの子孫」によります。この子孫こそ、「イエス・キリスト」です。それは、恵みによる祝福です。例えば、父が保険の契約をしていたら、父の死後、一円も支払っていない子どもが保険金を受け取ります。「契約による相続人」だからです。