2022年2月27日

天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません、ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ、父だけが知っておられます。

マタイによる福音書24章35~36節

敬拝

  • 賛美 主のご栄光をほめたたえます
  • 祈り
  • 勧め 「刈り入れの時」ヨハネの黙示録3章14~22節
  • 献金
  • 報告
  • 頌栄
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 沖縄県のまん延防止期間が解除され、教会も通常に戻しています。ですが、今まで通り感染対策は続けて行いましょう。
  • 本日、27日12時から役員会を行います。

ディボーションノート「水路のそば」

2月28日(月)イザヤ書45章1〜25節
3月1日(火)イザヤ書46章1〜13節
3月2日(水)イザヤ書47章1〜15節
3月3日(木)イザヤ書48章1〜22節
3月4日(金)イザヤ書49章1〜26節
3月5日(土)イザヤ書50章1〜11節
3月6日(日)詩篇97篇1〜12節

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

メッセージ

刈り入れの時

ヨハネの黙示録3章14~22節

聖書は、神による創造から、終末、新天新地に至る歴史が示されています。本日の黙示録にも、過去、現在進行、そして将来に至るまで預言されていますが、特に教会の掲挙に端を発し、キリストのオリーブ山への地上再臨に至る、いわゆる艱難時代について多く記載されています。使徒ヨハネは、エルサレム教会からアジアにあるエペソ教会に至り、ローマ帝国、またユダヤ教徒から迫害を受け、エーゲ海の小島「パトモス」に流刑されました。そこで、主からの啓示を受けたのが本書です。

過去:1章 イエスの栄光の姿

現在:2~3章 初代教会から始まり、終末における教会

天上(御国):4~5章 神の御座における主の栄光の姿と賛美と「巻物」

将来:6~20章 7年間の艱難時代

   21~22章 新しい天と地の幻、キリストの地上再臨

現在、世界中に蔓延しているウィルスによる疫病があります。ラテン語で「コロナ」と命名されていますが、地上には数えきれない程のウィルスがあります。その1つであるコロナウィルスも6種類あり、1~4番目はありふれたウィルスでした。5番目の「サーズ」は、感染後すぐに発症しました。6番目の「マーズ」、そして7番目の「コロナ」は、今までと違うので「新型」と言われています。厄介なのことに、このウィルスは潜伏期間が長く、感染者や農耕接触者は14日間の隔離や自粛が求められました。

マタイによる福音書24章4~8節には、メシヤの偽物が起こり、偽情報が流れ、世界中に「・・・また戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことが必ず起こりますが、まだ終わりではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。」と記されています。

ここで「産みの苦しみ」と書かれているのが、新天新地を生み出すための7年間の艱難時代、陣痛の始まりです。

この7年間は、前半の3年半と後半の3年半に分かれる、とダニエルが預言しています。前半は、ヨハネの黙示録6章で、欧州連合から「反キリスト・666」が登場し、一時的に平和をもたらします。彼は「白い馬」に乗って現れ、「・・・弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上にさらに勝利を得ようとして出て行った。」(ヨハネの黙示録6章2節)とあるように、軍事力を背景にしていますが、矢はなく、冠を与えられています。

7つの教会は「アジア(現在のトルコ)」に現存していた教会で。それぞれの特徴を持っています。21世紀の地方教会も、ぞれぞれ特徴があるようにです。

また、預言的な意味もあります。エペソは初代教会、ペルガモは国家との結婚と堕落の道を辿り、フィラデルフィアは改革と世界宣教がなされ、現在は「ラオデキヤ」時代と言えるかもしれません。「ラオデキヤ」というのは、王の妻の名前で「ラオス」は人々、「デキヤ」は支配を意味し、王は「人々を支配する」ことを名前にしました。ラオデキヤは、現在パモクレという町で、温泉が湧き、冷水と温水が川で合流して「生暖かく」なります。終末時代の教会は、教会の集まりに使徒(熱い信仰)と、新生していない「冷たい・いのちのない」人々が混在し、見分けがつきませんでした。ですから、熱いか冷たいかであってほしい、分からないので「吐き出す」シャッフルになるのか苦難です。

ヨハネの黙示録3章14節で、主は仰せられると紹介しています。イエスは神であり、主です。『アーメンなる方』は、ヘブル語で「真実な創造主」という意味で、それは「この方」によって世界は造られ「真実」はキリストを指し。この方によらずに救いはない、解決も、自由も、いのちもないというメッセージです。