イエスは彼に言われた。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが、重要な第一の戒めです。
マタイによる福音書22章37~38節
敬拝
- 賛美 主のご栄光をほめたたえます
- 祈り
- 勧め 「みこころに生かされる」ピリピ人への手紙2章12節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 沖縄県のまん延防止期間が延長されました。引き続き、礼拝の配信や、少人数での集まりとします。感染予防に努めながら、早い回復を祈りましょう。
- 本日(2022年2月6日)役員会があります。
- 今週水曜日(2022年2月9日)の聖書の学びはお休みです。
ディボーションノート「水路のそば」
2月7日(月) | イザヤ書27章1〜13節 |
2月8日(火) | イザヤ書28章1〜29節 |
2月9日(水) | イザヤ書29章1〜24節 |
2月10日(木) | イザヤ書30章1〜33節 |
2月11日(金) | イザヤ書31章1〜9節 |
2月12日(土) | イザヤ書32章1〜20節 |
2月13日(日) | 詩篇94篇1〜23節 |
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
みこころに生かされる
ピリピ人への手紙2章12節
「みこころ」とは何でしょう。主にあって新生された時から、この疑問がありました。先輩クリスチャンからも「みこころに生きなさい」と言われますが、何がみこころなのか、どのように生きるのかがわからないまま今日まできたように思います。
ですが、ピリピ人への手紙から、知っていても、知らなくても、みこころに生きてこられたようにも思います。
私は心の中で「これをしたい」とか、希望、目的を持って、計画を立てて生きてきました。進学、就職、結婚、引っ越しなど、「志」を立てて、選択してきたように思います。パウロは、ピリピ教会に「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって・・・」(ピリピ人への手紙2章3節)と勧めています。神は「みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、ことを行わせてくださる方です。」(ピリピ人への手紙2章12節)とあり、救われて主のものとされた私たちに、聖霊が内住され、志を立てさせてくださる、としています。それは、御霊の働きにより、思いの中に主が働かれ、導かれるということです。その時「みこころか」「独りよがりか」あるいは、「サタンからの誘惑」かもしれないのですが、日ごろからみことばに導かれ、よく吟味することが求められています。
具体的な例として、創世記24章で、アブラハムの一人のしもべが描かれています。彼は、名前も記されていませんが、アブラハムにとって最も信頼されたしもべであったことがわかります。
それは、アブラハムがカルデヤのウルにいた時、「子孫が星の数のように」数えきれないくらい祝福されるとの約束です。妻を失い、140歳になっていて、息子イサクは40歳です。まだ独身です。神の約束のために、息子イサクの結婚のために、花嫁を求めていました。それも、カナン人ではなく、故郷のカルデヤ人からとの願いがありました。アブラハムは、子孫たちの父祖、初代です。イサクは。おそらくのんびりした性格で気にしていない様子です。
しもべは、主人の使命を帯びて、カナンから720km離れた「アラム・ナハライムのナホルの町」に行きます。
1、みことばに導かれる。主人アブラハムのことば。
しもべは使命を帯びていました。ふさわしい娘を探すこと、その娘に出会ったとき、カナンには行きたくないと言うかもしれない。その時は、この任務は解かれると。しもべは、10頭のらくだやおみやげを持って出かけました。
2、祈りの旅
「アラム・ナハライムのナホルの町」へは18日間かかります。娘に出会えるかどうか、どのように判断できるか、娘がカナンに来てくれるか、不安だらけだったかもしれません。しもべは、必ず祝福してくださる神を信じていました。主からの平安です。
3、環境が整う
しもべは、井戸に着きました。井戸は、出会いの場です。ヤコブとラケル、モーセとチッポラ、そしてサマリヤの女がイエス様と出会ったのも井戸でした。井戸は、夕方女性たちが水汲みに来る出会いの場です。しもべは、主人アブラハムの祝福を祈っていました。(創世記24章12節)
みこころかどうかの判断は平安です。
人生、選択の繰り返しです。しかし、みこころは平安があります。と言っても、不安はぬぐい切れません。それは、足を自分に置いている証です。平安は、神からきます。それは、ゆだねることによります。主は「わたしの平安は世と違います。」と仰っています。必ず益としてくださる主にゆだねて歩みましょう。