2021年10月31日

ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。

マタイによる福音書28章19~20節

敬拝

  • 賛美 主のご栄光をほめたたえます
  • 祈り
  • 勧め 「恵みの契約」ローマ人への手紙4章1〜8節
  • 献金
  • 報告
  • 頌栄
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 緊急事態宣言が解除され、日常の生活が戻りつつありますが、続けて対策が必要です。集まりにおいても、制約がありますが、行事を再開できますようにお祈りします。
  • 本日の早朝礼拝の聖書からの勧めは、ミッキー兄です。御霊の祝福を祈ります。
  • 来週(2021/11/7)の12時から、教会役員会があります。
  • クリスマス礼拝の準備奉仕に感謝します。

ディボーションノート「水路のそば」

11月1日(月)コロサイ人への手紙1章1〜29節
11月2日(火)コロサイ人への手紙2章1〜23節
11月3日(水)コロサイ人への手紙3章1〜25節
11月4日(木)コロサイ人への手紙4章1〜18節
11月5日(金)テサロニケ人への手紙第一1章1〜10節
11月6日(土)テサロニケ人への手紙第一2章1〜20節
11月7日(日)詩篇79篇1〜13節

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

メッセージ

恵みの契約

ローマ人への手紙4章1〜8節

・聖書は何と語っているのか

聖霊は神のことばです。それは、人間の言葉ではありません。世界的にも歴史的にも、多くの方がすばらしい言葉を残しました。その中には「なるほど」とか「目からうろこが取れた」「生きる力になった」などと思えるものもたくさんあります。また、宗教的にも、開祖たちの言葉は理に適っていて「明日から頑張ろう」という励みにもなります。

しかし聖書は、これらの人間が語った、あるいは遺した言葉ではありません。それは、創造主である神のことばだからです。当時の人々は、こんなことは聞いたことがないと感嘆するほど、権威がありました。例えば「私は道を知っている」とか「私は真理を極めた」「私は命について分かった」ではなく、神のひとり子イエスは「私が、道、真理、いのちである」と明言されたのです。この理由は、はじめにめに人ありてではなく、はじめに神ありてだからです。神はすべてのものの始祖だからです。

聖書は、その神のことばです。ですから、神が何をどう語っておられるかが大切です。

・聖書は「契約(約束)の書」です。

この世界でも、私たちは契約を交わします。例えば、気に入った車を買うとき、車屋さんと契約します。この車を100万円で売ります、客は買いますと約束します。その時、手付金(頭金)や、納車の時期、場所、そして代金はどのように支払うかなど約束します。

教会でも、火災保険と地震保険に入っていますが、台風で建物が壊れた時、「保険金がおりますか」と相談すると、「これはおりません。約款に書いていないケースです」と断られました。どのような約束が書かれているかは大切です。

・聖書は、神と人との契約の書であり、約款も書かれています。

神は創造主です。世界はこの方の作品です。ですから、間違いや不良品はありません。なのに、なぜ呪いがあるのでしょうか。戦争や災害、犯罪、疫病・・・神が造られて祝福されているとは思えない状況です。聖書は、この根幹を、人間の罪にある、神の創造された世界に祝福と呪いが置かれ、人間は「呪い」を選んだ結果です。聖書は、この状態を、不敬虔「神を神としない」罪と示しています。

・このような罪の中にいのちのない(死んでいる)人を救うことが神の目的です。

「罪人を義とする」計画が、神の恵みによる契約です。

ローマ人への手紙4章には、「アブラハムの契約」が記されています。神を神としない偶像に満ちたバビロンからアブラハムを義とされるのです。それは、いつ、どのようにかというと、バビロンにあったとき、神は「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われました。「あなたの子孫はこのようになる」子供がなかったアブラハムに、その子孫は数え切れなく増えると語られたのです。「アブラハムは主を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」とあります。これが恵みによる信仰という契約の成立です。ローマ人への手紙4章5節では、「しかし、働きがない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます。」

「不敬虔の者」とは誰でしょう。神を神としないものが不敬虔です。ルカによる福音書16章には「不正な管理人」が出てきます。「不正」それは「不敬虔」です。不正の富、それは負債、借金、他人の金・・・というのは、私たちのすべての富は、神からのものです。ですから、神からの富で「友」をつくりなさい、と。主イエスは「どんな時にも愛してくださる友」であり「永遠の家に導いてくださいます」