2021年8月29日

あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して、正しい者が揺るがされないようにはなさらない。

詩篇55篇22節

敬拝

  • 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
  • 祈り
  • 勧め 「たとえそうでなくても」マタイによ福音書24章32〜37節
  • 献金
  • 報告
  • 頌栄
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 会堂での礼拝のお休みが続いています。今のところ、県の緊急事態宣言の解除の日(2021年9月12日予定)までです。
  • 献金される方は下記に振り込むことが可能です。
    沖縄海邦銀行 普天間支店 店番:042 口座番号:653969
    単立 恵みバプテスト教会
  • このような状況下、皆様の霊肉共に守られるように心からお祈りいたします。

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

メッセージ

たとえそうでなくても

マタイによる福音書24章32〜37節

マタイによる福音書24章には終末預言がされています。天地万物が人間のエゴや罪のために崩れていく様子が預言されています。私たちは、世界は人間の英知によって様々な課題が解決され、やがて理想郷が実現するようなイメージがありました。科学も道徳もさらに進化し、平和で豊かな世界が実現すると確信していました。

しかし、聖書は逆に自然も人の心も愛も冷え崩れて混沌とした世界になると預言しています。その状況を預言したのが、黙示録やエゼキエル書、そしてマタイによる福音書24章です。

歴史をさかのぼってみると、世界的に様々な災害、事件、事故、戦争、疫病などがありました。

「ノアの時代の世界規模の洪水」

「バベルの塔の建設による人間の世界離散」

マタイによる福音書24章32節には「いちじくの木から教訓を学びなさい」とあるように、イスラエル民族に特化してみますと、ヤコブの時代中東における飢饉、食料の枯渇は生存の危機を生じ、エジプトの助けから400年に及ぶ従属を経験します。やっと約束の地カナンに帰っても、アッスリヤによる侵攻、そしてバビロン帝国への捕囚、近代では世界中での迫害、そして流浪と、落ち着く時代がなかったようです。

「いちじくの木」はイスラエルの型です。「枝が柔らかになって葉が出てくると、夏の近いことがわかります。」

「葉が出てくる」とは、聖書で預言されている終末のしるしが見えてくるという意味です。「夏が近い」世界がいわゆる暑くなってくると。

以上のような状況は、過去にも何度かありました。今回は、605BCのバビロンのエルサレム侵攻、破壊から学びたいと思います。

この時代のバビロン王は「ネブカデネザル」といいます。イスラエルの民はほとんどバビロンに奴隷として連行されました。この王は「金の像」を建立します。それはヨーロッパからインドまで支配している統治を誇り、どの王よりも優れ、どの神々よりも、王の計画を阻害できないと豪語していることでも垣間見ることができます。

ダニエル書3章です。

王は、その建立式典で、すべての民は像の前にひれ伏すように求めています。もし従わないなら、燃える火の炉に投げ込まれると命令されました。

ここに3人のイスラエルの民が出てきます。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴです。

彼らは、祖国が侵攻を受け、神殿が破壊され、異国の王に従属するという状況にありながら、当地で勝手に建てられた全能の神以外の像にひれ伏すことはあり得ないことでした。

3人は像を拝まなかったので、王の前に連れてこられ訴えられます。王は像を拝まないことは自分の尊厳を傷つけたこと、支配に対して異を唱えることが許せなかったのです。ですから驚いて「本当か」と再度聞いています。

ダニエル書3章15節

王は「・・・しかし、拝まないなら、お前たちは、即刻、火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からおまえたちを救い出せるだろうか。」

3人は王の言葉に2つの答えをしています。

1、ダニエル書3章17節「もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出すことができます。」私たちの神は全知全能です。みこころのために何でもできます。

2、ダニエル書3章18節「しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」王のさらなる怒りを受けた3人は、炉の中に投げ込まれました。しかし炉の中には「第四の者の姿」(ダニエル書3章25節)がありました。おそらく3人は投げ込まれる前に救い出されることを願ったと思います。しかし炉の中に投げ込まれるまで救いの手はありませんでした。3人が投げ込まれた炉第四の者、主がともにおられました。