2021年7月25日

まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。

ヨハネによる福音書5章24節

敬拝

  • 黙想 静かに礼拝に備えます
  • 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
  • 祈り
  • 勧め 「救い主のしるしイエス」マタイによる福音書12章38〜41節
  • 献金
  • 報告
  • 頌栄
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 7月18日から会堂での礼拝を再開しています。早朝礼拝(午前7時)、一般礼拝(午前10時)とあります。会堂でも日頃の対策をとっていただき「感染しない、させない」ことを祈りましょう。
  • 教会の年間スケジュールが大幅に変わっています。特に集まって何かをすることを控えています。この状況でも守られ、主のみこころがされるよう求めます。
  • 聖書の学びは、火曜日15時と、土曜日11時からあります。ぜひご参加ください。

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

メッセージ

「救い主のしるしイエス」

マタイによる福音書12章38〜41節

「証拠を見せてください」

生活の中で何気なくですがよく使われるフレーズです。

多くの場合は、真偽がはっきりしない時に使いますが、時々否定するために使われます。「ありえない」ことに対して、どうしても受け入れられないので「証拠は・・・」と使われることがあります。

イエスの公生涯においても、常に「この目」にさらされてきました。特に主がされる奇跡、病の人のいやしや悪霊の追い出しという受け入れられない事実を目の当たりにして、何とか別の答え、解決を模索したのです。

イエスの働きは、エルサレムの宗教指導者の耳にも入り、ユダヤ教パリサイ派、律法の生活への適用を教え、見守っていた学者たちにとってイエスという存在が脅威に変わりました。それは自分たちの存在意義が根底から失われる事態となり得たからです。

コリント人への手紙第一1章22〜24節には、

「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシャ人は知恵を要求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。」

とあります。

ギリシャ人は異邦人の代表のように記されていますが、「知恵を要求する」というのは、現代的に言えば「科学」と言えるのかもしれません。ユダヤ人は「しるしを要求し」というのは、旧約で預言された「メシヤ(救い主)としての証拠」を言います。彼らがどれほど聖書に精通していたかは、ヘロデ王と東の博士たちの訪問を受け「王として生まれられた方」の情報を聞いた時、それは何処なのかを調べさせ、すぐに大量の預言書の中から「ベツレヘム」とミカ書を提示していることでもわかります。

マタイによる福音書12章38節で、彼らがしるしを求めたので、しるしを求めるのは「悪い姦淫の時代」と答えられました。しるしを求めるのは必要なことです。主イエス自身も、しるしをされたのは、ご自身が預言されたキリストであることの証をされたのです。人々はイエスを預言者の一人やバプテスマのヨハネだととらえていましたから。

指摘されたのはその動機です。霊的姦淫、偶像礼拝を意味します。宗教的偶像崇拝は「印(奇跡的)」を看板に出し、「こういうことが起こった」「こういうことができる」をしるしとします。ある意味私たちはそれを求めて門を叩くのです。聖書はこの状況を「的外れ(罪)」と言い、罪とは「神以外のものを神とし、自分の願望の成就を期待する」ことです。

マタイによる福音書12章39節で、主は「・・・悪い、姦淫の時代は・・・しるしは与えられない」と答えられました。その意味は「与えられない」のではなく、「与えられたのに受け入れない」と言われたのです。イエスの降誕は「しるし」であり、私たちにとっては十字架、復活はしるしの根源でもあります。イエスの死からの復活は「信じない」と否定できますが、「無かった」「作り話」だと否定することはできません。それは何故でしょう。事実だからです。ある意味、世界中のすべてのクリスチャンたちの存在がひとつのしるしかもしれません。真理から目を背けていると、真理が示されても見えないのです。それには無関心です。

「ヨナのしるし」

「ただし」と、とイエスはヨナのしるしを話されました。彼は、三日三晩魚の腹の中で過ごし、吐き出されたニネベで宣教します。このヨナの預言が救い主イエスの十字架と復活のしるしであり、民に悔い改めを求めておられます。今もです。