イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。」と言われた。
ヨハネによる福音書19章26節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「母」創世記3章20〜21節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 本日は母の日です。神様が母の存在と働きを備え守ってくださったことを感謝します。
- 礼拝の中で、宮國泰斗兄が特別賛美をしてくださいます。
- 会堂の外壁工事が始まっています。危険ですので足場には触れないようにお願いします。また駐車場も狭くなっていますので、お互いに配慮しましょう。
- ウィークデーの聖書の学びもあります。火曜日午後3時からと、土曜日午前11時からです。個人的な学びもあります。特に三密に気をつけて座席を確保してください。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
5月9日(日) | 7:00 | 早朝礼拝 |
10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 | |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
5月11日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
5月12日(水) | 20:00 | 聖書の学びと祈り会(使徒の働き) |
5月15日(土) | 11:00 | 聖書の学び(マタイによる福音書) |
メッセージ
「母」
創世記3章20〜21節
本日は母の日です。母に感謝すると同時に、与えてくださった神に感謝します。
創世記には、すべてのものの始まりが記されていますが、特に母に焦点を合わせてみたいと思います。なぜなら、アダム以降、すべての人は母から生まれたからです。創造主は「初めの人」を造られ、「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」(創世記2章18節)として「女」(創世記2章22節)を、人のあばら骨から造られました。ふたりとも裸でした。
その後、女は「妻」と記され(創世記3章20節)、人は妻を「エバ」と呼び、「生きるものすべての母だからである。」とあります。
「女」ー「妻」ー「母」
母はすべての生きるものを生み出すこととされるのです。
創世記3章15節で、女を罪へと誘惑した蛇に対して「わたしは・・・敵意を置く」と、サタンの子孫と「女の子孫」の敵意を示しておられます。この敵意は、神のひとり子の死、十字架にまで進んで行きます。最初の「キリスト預言」です。
1、「女の子孫」
なぜイエスは「女の子孫」と呼ばれているのでしょうか。聖書では、アブラハムの子孫とかヤコブの子孫と言われ「サラの子孫」「ラケルの子孫」などとは言われません。実はイスラエルでは女系です。例えばテモテは母はイスラエル人、父はギリシャ人です。日本であれば「ギリシャ人」になりますが、彼はイスラエル人になります。
エバは実に「すべてのいきるものの母」とされたのです。いのちの継承者です。私たちは先祖を敬いますが、最初の先祖は「アダムとエバ」です。これはみことばがなければ知り得ない事実です。
2、「ミトコンドリア・イブ」説
昨今は科学が発達し、遺伝子工学も進歩しています。以前は犯罪が起こると指紋を照合しましたが、今では遺伝子で照合します。「ミトコンドリア・イブ」説というのは仮説です。実証されたわけではありませんが、人の体には約60兆の細胞があり、その細胞の中には「ミトコンドリア」というのがあり、母の情報が子供に遺伝するそうです。ですから、私のミトコンドリアは母と一致します。この情報を辿っていくとエバにたどり着くでしょう。つまり「イチャリバチョーデー」私たちはみな親戚と言えます。
エバは「すべてのいきるもの」の母なのです。その後、彼らに子供が与えられ、エバは「私は、主によってひとりの男子を得た」(創世記4章1節)と、罪を犯しても神の祝福は変わらなかったことを喜びました。「赤ちゃん」は裸で生まれてきます。ヨブ記1章21節にあるように「私は裸で母の胎から出てきた。また裸でかしこに帰ろう。」人は裸でというのは、いのちの守りと成長のために「助け」が必要であることを示し、私たちも神の助けなしに生きていけないことを預言されています。神である主は「まことのいのちを生み出し守られる母」なのです。
3、「女の子孫」の働きと目的
主は、アダムとエバのために「皮の衣」を作って彼らに着せられました。赤ちゃんが生まれるとすぐに「おくるみ」でカバーするように、皮の衣は、動物の血が流されたことと、裸の状態にカバーされることを意味します。
マルコによる福音書8章34〜35節に「自分を捨て、自分の十字架を負って・・・」とありますが、私たちはこの世的なものによって自分をカバーし守るのではなく、御子イエスの血によって罪からきよめられ、常に光の中を導かれることに感謝し、神のみこころを賛美したいと思います。