神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。
テモテの手紙第一2章4〜5節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「迷っている羊」マタイによる福音書18章10〜14節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 本日は2021年3月のビジョン会です。教会員の方はご参加ください。10時の礼拝後に行います。
- 新型コロナウィルスの感染が続いています。教会の礼拝、行事も変則ですが、一人一人が予防、対策をしながら守られますようにお祈りします。
- ウィークデーの聖書の学びは再開されています。火曜日15:00、水曜日20:00、土曜日11:00にあります。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
3月14日(日) | 7:00 | 早朝礼拝 |
10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 | |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
3月16日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
3月17日(水) | 20:00 | 聖書の学びと祈り会(使徒の働き) |
3月20日(土) | 11:00 | 聖書の学び(マタイによる福音書) |
メッセージ
「迷っている小さい者たちの祝福」
マタイによる福音書19章10〜14節
弟子たちがイエスのもとに来て質問しました。
「天の御国では、いったい誰が一番偉いのですか。」
この質問は弟子たちの1番の関心ごとだったり、この世の価値観の基礎となるものでした。
新聞によると、子どもたちのなりたい職業の一番は「ユーチューバー」だそうで、あるいは「公務員」「医者」などがあるそうです。ただ注目すべきは「別に」と答え、「生活できればよい」また「あまり出世や成功を望んでいない」という子どももいるそうです。
弟子たちは、ガリラヤ湖から主に従い、信徒が増えるにつれて「誰が一番出世するのか」に関心がありました。
主はマタイによる福音書18章4節で「だれでも子供のように自分を低くする人が、天の御国で一番偉いのです」と教えられました。
では「子供のように低くする人」とは何を教えておられるのでしょうか。確かに子供は大人より身長が低いです。では、低くするというのは謙遜を言っておられるのでしょうか。続けてマタイによる福音書18章5節で「子供の一人を、わたしの名のゆえに受け入れる人は・・・」それはただの謙遜ではなく、キリストの名のゆえに受け入れる人は、わたし(イエス)を受け入れるのです。
マタイによる福音書18章6節からは、主は多くの例題をもって話されてます。それは大変恐ろしいものです。ですから小さい者を軽んじないようにしなさいと。
そこでイエスは次のたとえ話をされます。ある人が100匹の羊を持っていました。その1匹がいなくなったのです。羊飼いから見れば「いなくなった」、羊から見れば「迷った」のです。
1、迷うとな何か
羊は一人の羊飼いに従って集団で行動します。以前韓国に旅行した時に、いつもグループで行動していました。でも気がつくと一人がいないのです。残りの人たちに動かないように指示し、一人を探しに行きました。迷うというのは、間違う、落ちこぼれる、失敗する・・・などで、時々いない方がいい場合があります。小学生の頃、クラスの体育で、数人のグループでリレーをする事になりました。グループ分けをするときに、リーダーを任された生徒にとって「入ってほしくない生徒」がいました。彼女は走るのがとても苦手だったからです。この女生徒がグループに入ることが決まった時点で、最下位が決まってしまうからです。みんな自分たちのグループに来てほしくないと考えていました。足手まといです。
「迷い出た羊」は、グループについて来れなかったのです。段々遅れてきて、仲間から外れてしまったのです。
羊は、視力が弱い、牙がない、足が遅い、なのに肉が美味しいので他の肉食動物に狙われやすい、大きくなった羊は倒れたら自分で起きられないそうです。
2、迷う(自分の居場所がわからない)
羊飼いに従っている羊は、自分の居場所がわからなくてもよいのです。しかし、羊飼いから離れると、自分の居場所をわかっていることが大切です。
初めての場所で駅に着くと、構内でまず地図を探します。駅の地図には必ず「現在の居場所」に印がついています。目的地が分かっても、自分の居場所がわからないと無意味です。そのためには二つの方法があります。一つは地図を見る。これは聖書を見ることです。知っている人に聞く。これは「イエスに聞く」ことです。大切なことは「聞いた相手が信じられなかったら、答えも信じられません」ですから、イエスを救い主として信じることからスタートします。
聖書は、人は神によって造られ、この世に生まれてきた。そのルーツは創造主にあること。また人生は天国を目的とした旅であること。今は現世に寄留して。
3、迷う(どこに向かっているかわからない。曖昧。)
聖書は、人生は天国を目指している旅である。今は現世に寄留しているに過ぎない。
ヨハネによる福音書14章1〜4節
「ちりはもとあった地に還り、霊はこれを下さった神に還る。」