2021年2月14日

ですから、私は目標がはっきりしないような走り方をしません。空を打つような拳闘もしません。

コリント人への手紙第一9章26節

敬拝

  • 黙想 静かに礼拝に備えます
  • 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
  • 祈り
  • 勧め 「恵みの器、教会」使徒の働き1章1〜8節
  • 献金
  • 報告
  • 頌栄
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 2021年信徒総会のお知らせ
    本日(2021年2月14日)は信徒総会です。今回の総会は、現在の状況を鑑み、責任役員で行います。
  • 礼拝の集まりについて、県の非常事態宣言が2月末まで延長となりましたので、このままライブ配信を続ける予定です。ただ、状況によって再開できたらと願っています。教会のためにも祈っていただければ幸いです。
  • この状況がいつまで続くかは定かではありませんが、主の平安と守りをお祈りいたします。
  • 献金は振り込むことができます。
    沖縄海邦銀行 普天間支店 店番:042 口座番号:653969
    名義:単立恵みバプテスト教会

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

今週の予定

礼拝、祈り会、聖書の学びはお休みです。

メッセージ

「教会の存在と働きは恵みそのもの」

使徒の働き1章1〜8節

教会とは。

聖書では「主イエスをかしらとするからだ」であり「この世から召しだされた者の集まり」などと記されています。使徒の働きは福音書を記したルカによりますが、ルカ自身はギリシャ人の医者で12使徒でもありませんでした。使徒パウロと伝道旅行に同行し、その様子が記されています。使徒の働きは、聖霊の働きであり、教会の始まりから働きとも言えます。

本書は「テオフィロ様」という個人宛の手紙です。使徒の働き1章1〜2節を見ると、本当に時代の証言者というのがぴったりです。特にイエスの十字架の復活の後の記述でもあります。みことばは選民から異邦人に開かれていく過程が細かく示されています。

使徒の働き1章3節は「イエスは苦しみを受けて後」とイエスの十字架が描かれ、三日目に甦られたことが強調されています。使徒の働き2章31〜32節で「それで、後のことを予見し、キリストの復活について『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」とあります。

使徒たちの証と同様、教会の存在目的も意味も復活にあり、その証言をしていると言えます。

礼拝も日曜日に守られている一つの意味は、主がよみがえられた日が「週の初めの日の朝」でした。ほとんどの教会の建物や講壇に十字架が掲げられていますが、イコンと違って、そこに主のからだの形はありません。それは「ここにはいない」という事の証言でもあります。

主はよみがえられてから40日間にわたって、ご自分がよみがえられていることを証されました。イエスの十字架刑は、歴史的な事実として疑う人もあまりいません。なのになぜ、何を信じるのかというと「全く罪のない方がその罰を受けられたのが、イエスご自身のことではなく、すべての人の罪を身代わりに負われた。それは「私の罪のためである」と信じ受け入れる事ですが、復活は、死が終わりではなく、たましいの永続性と、イエスのよみがえりは、信じる者のよみがえりにつながれることを信じることでもあるのです。

ですから主は40日間も「確かな証拠」をもって復活を示されたのです。当時、イエスの復活を一番信じていなかったのは、祭司やローマ兵ではなく、弟子たちだったかもしれません。

このように教会は「復活の証人」として立たされています。それは、すべての人は一度死にますが、死は終わりではなく、必ず「よみがえる」ことの証人でもあります。

それは、ただ不死のメッセージをしているのではなく「神の国」の存在、祝福を預言しているのです。教会にはただ使徒が集まっているというのではなく、聖霊の働きがすごく大切です。主はヨハネの福音書14章16〜19節で「父の約束」である聖霊の降臨、内住を授けられなさいと命じられました。それは「ともに、うちに内在される助け主」です。ですから教会は「聖霊の宮」とも呼ばれています。

主はこの時、意外な注意をされました。それは「エルサレムを離れないで」とバラバラにならないで、一箇所に集まっていなさいとのみことばです。

偏在なる神の御霊を受けるのに、なぜ集まる必要があるのでしょうか。それは聖霊は「集まりの中に働かれる」からです。主は「2、3人、わたしの名によって集まるところにわたしも共にある」と仰せられました。信仰は個人的です。内住も個人的です。しかし、その働きは集まりの中に顕著に働かれるのではないでしょうか。御霊の実も賜物も対象、相手が必要です。十字架の形のように神との縦の関係、兄弟姉妹との横の関係で成立しているのでしょう。

・私にとって教会とはなんでしょうか。

・教会は神を父とする家族です。

・教会は聖書を学ぶ学校です。

・教会は体と心がいやされる病院です。

主の人知を超えた配慮に感謝です。