私は福音を恥とはしません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にも救いをもたらす神の力です。
ローマ人への手紙1章16節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「信仰による義人は生きる」ハバクク書2章1〜4節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 2021年信徒総会のお知らせ
今回の総会は、現在の状況を鑑み、責任役員で行います。そのための「お知らせ」各資料などを送付させていただきますので、委任状に署名捺印(捺印省略も可)して返送いただければ幸いです。 - 県の緊急事態宣言を受け、宣言が出ている期間(〜2021年2月7日)は教会での礼拝をお休みします。この間、10時からの礼拝をインターネットで生配信する予定です。初めてのことでわからないこともありますが、家庭において同時間に礼拝できるようにと願っています。またインターネットをご覧いただけない兄弟姉妹の皆様にはCDを送らせていただきます。
- この状況がいつまで続くかは定かではありませんが、主の平安と守りをお祈りいたします。
- 献金は振り込むことができます。
沖縄海邦銀行 普天間支店 店番:042 口座番号:653969
名義:単立恵みバプテスト教会
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
礼拝、祈り会、聖書の学びはお休みです。
メッセージ
「信仰による義人は生きる」
ハバクク書2章1〜4節
「四面楚歌」預言者ハバククの時代は、この言葉通りの時代と言えます。イスラエルの分裂王国時代においてユダ王国は末期的症状を呈していました。
国内には対立があり、外国の圧迫が強くなり、内政にまで干渉してきていました。特に律法を重んじることもなおざりにされ、選民としてのプライドも失せていました。北のアッシリヤ、バビロン、そして南のエジプトが迫ってきていました。ハバククはこのような時代の預言者です。
ハバククは「自分のものみやぐらの上に立ち、砦にしかと立って見張り、私の訴えについて、主が私に何を語られるか、私がそれにどう応じるかを見よう。」(ハバクク書2章1節)
この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽っていません。選民イスラエルの終わりの時が近づいていました。
振り返って、現在の世界はどうでしょうか。新型コロナウィルスの蔓延で世界が不安の中にいます。先週の情報ではすでに世界で感染者が1億人に達したと示していました。世界を見れば国同士の争い、国の中での分裂、環境汚染、異常気象、イナゴの大群、飢饉、地震・・・そして疫病と、もしかすると主の再臨が近づいているのかもしれません。ハバクク書2章3節は「この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなっても、それを待て、必ず来る。遅れることはない。」と。
このような時代にあって何が大切かをハバククは預言しています。
1、「しかし、正しい人はその信仰によって生きる」ハバクク書2章4節
このみことばを使徒パウロは、ローマ人への手紙1章17節で「義人(正しい人)は信仰によって生きる。」と引用しています。それは、こういう時代だからこそ、いやどのような時代であっても、人にとって大切なのは「信仰」であり、その信仰によって生きることです、と。まず「信仰」とは何か、というと、ヘブル人への手紙11章1節で「信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
何を信じるのかとは「神がおられること(存在)と、神がご自分を求める者(見上げる者)には報いてくださる方であること」(ヘブル人への手紙11章6節)。それは、神が報いるための力があることを信じなければならないと言います。
それは福音を信じることであり、福音は「イエスが信じる者の罪の罰を十字架で代わりに負ってくださった」ことと、葬られて三日目に死から甦り、復活の望みを約束してくださったことを指します。
「義人」はイエス・キリストだけです。ですから、イエスを救い主として信じることは、キリストの聖さゆえに義とされているのです。
福音は信仰に始まり、信仰に進ませるというのは、信仰によって生まれ、信仰によって生きる(生活する)ことを意味します。ですから「信仰による義人は生きる」という意味にもなります。
2、いのちの土台(ルカによる福音書6章47〜48節)
「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う者がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、土台を据えて、家を建てた人に似ています。」
それは、見えない部分を見ることで、肉眼で見えない神を聖書のみことばで確認し、見えない霊的いのちをみことばによって見て行く歩みです。土台は大切です。我が国では進化説が土台になっています。この説は、いのちも偶然に出現したとしているため、神を認めませんから目的も計画もなく、アガペーの愛に触れることもありません。
3、ハバククはどのような時代でも、状況でも、「神の国」である主を待ち望み、「イエスは主です」と、イエスを見上げる信仰によって生きることを預言しています。結語として「私の主、神は、私の力」(ハバクク書3章19節)と賛美しています。このような時ですが、いのちの主イエス・キリストを信じて歩みたいものです。