2021年1月10日

荒野と砂漠は喜び、荒地は喜び踊り、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う。これにレバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光が授けられるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。

イザヤ書35章1〜2節

敬拝

  • 黙想 静かに礼拝に備えます
  • 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
  • 祈り
  • 勧め 「あなたはわたしに従いなさい」ヨハネの福音書21章20〜23節
  • 献金
  • 報告
  • 頌栄
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 本日は2021年1月のビジョン会です。教会の現状とこれからの報告です。
  • 聖書の学びを2021年1月12日(火)から再開します。
  • 個人的な学びも以前の時間で再開します。

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

今週の予定

1月10日(日)7:00早朝礼拝
 10:00一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。
  教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。
 14:00豊見城礼拝
1月12日(火)15:00聖書の学び
1月13日(水)20:00聖書の学びと祈り会(使徒の働き)
1月16日(土)11:00聖書の学び(マタイによる福音書)

 

メッセージ

「あなたはわたしに従いなさい」

ヨハネによる福音書21章20〜23節

1、比べる社会

私たちの社会は横並びの社会です。人と比べて自分を見る本能、あるいは習慣が身についています。確かに、「私は誰々に負けたくないし、負けない」というライバルの存在が自分の能力を高める結果をうむことがあります。しかし、いつもそうとは限りません。どうしても勝てないこともあり自分を卑下してしまったり、逆に勝利して高慢になり人を見下げてしまったりすることもあります。主は弟子たちの中にも存在することを見ていました。

主イエス・キリストが復活された後、弟子たちは御使いに促されて故郷ガリラヤに行きます。

ガリラヤに着いた弟子たちは、再び漁に出ますが、彼らは何も捕れませんでした。その湖畔に主が立たれます。

「夜が明け始めた頃、イエスが岸辺に立たれた。けれども弟子たちには、イエスであることがわからなかった。イエスは彼らに言われた。子供たちよ。食べるものがありませんね。。。」とみことばがあり、イエスとの「やりとり」が記されています。

弟子たちは「ありません。」と答え、すると主は「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます。」

弟子たちは、主とそのみことばであるとわからずに、その通り従うと大漁でした。弟子たちの中で最初に気づいたのはヨハネです。ヨハネはペテロに、岸辺に立たれているのは「主です」と教えました。

それを聞いたペテロは上着を着て湖に飛び込み、主のみもとに行きます。岸で主は炭火を起こし、食事の準備を整えておられました。本章は、主イエスとペテロとのやりとりが示されています。ヨハネはその目撃者です。

2、イエスは「比べる」のではなく、「上を見上げる」価値観を

食事を終えると主はペテロに「ヨハネの子シモン。あなたはこの人たちが愛する以上に、私を愛しますか。」と問われました。

主は「この人たち以上に」と他の弟子たちと比べられました。「ペテロの主を愛する愛は他の弟子たち勝っていますか。」と。ペテロは他の弟子たち以上に主に仕え、忠実に従いたかった。イエスがゲッセマネの園で捕らえられているとき、剣を抜いて応戦し、主を守りたかった。「私は主のために死んでもいい」と本気で考えていました。一番弟子です。ヨハネも一緒です。ライバルはヨハネかもしれません。でも岸辺に立たれた主を最初に見つけられなかったのです。ですからペテロは「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存知です。」しかし、主は三度ペテロに同じ質問をされます。ペテロは段々自分の主に対する愛が足りないことに気づかされていくのです。いやすでに主に愛されていることに。

ヨハネの福音書21章18、19節で、若い時には自分の力で、望み通りに生きます。しかし年をとると、他の人の力で、自分が望まない所に連れて行かれます。

主は若い自分の力で主に従うのではなく、他の力(主)に従って、時には自分では望んでいなかったところにも遣わされるかもしれないと言われました。

3、そこで主はペテロに使命を与えられた。「わたしに従いなさい」と。

神は人を創造し、一人ひとりに「使命」を与えておられます。使命には二種類あります。一つは「存在」が用いられる。いるだけで役立っている。

「サザエさん」という漫画があります。作者は長谷川町子、クリスチャンです。ある日、波平が新幹線に乗ります。波平がトイレに立つと、入れ替わりに夫婦がトイレから戻ってきます。夫婦は自分の席がわからずに迷っていました。そこへ波平が戻ってきて席に着きます。夫婦は自分たちの席を見つけたのですが、波平の頭が目印だったのです。その席の後ろが彼ら夫婦の席だったのです。

二つ目は「仕事」主に仕えることです。ペテロは「イエスの羊を飼うこと」でした。ペテロの羊ではありません。イエスの羊です。それは生活そのものをイエスに委ねることです。主はペテロに「ヨハネがどうかではなく、あなたはわたしに従いなさい」魚もパンも炭火も主が用意されていました。夜通し働いても魚が捕れなかったことが恵みです。