これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。
ヨハネによる福音書20章31節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「どなたが・・・」ヨハネによる福音書1章1〜10節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 礼拝にご参加下さり心から感謝いたします。まだまだウイルスの感染が心配されますが、できるだけ対策をしていただければと願っています。
- 聖書の学びは今週火曜日から再開いたします。続けてみことばを学び聖霊に励まされて歩みましょう。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
11月1日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
11月3日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
11月4日(水) | 20:00 | 聖書の学び、祈りの時 |
11月7日(土) | 11:00 | 聖書の学び |
メッセージ
「どなたが・・・」
ヨハネによる福音書1章1〜10節
ガリラヤで始まった主イエスの働きが3年半、その地上での目的が達成されようとしていました。弟子たちは主を信じ、従ってエルサレムまで来ました。しかし、彼らにとって思わぬ出来事が起こりました。イエスの逮捕、裁判、そして十字架での死です。みことばを教え、多くの人を癒され、平安を与えられました。その柱を失ったのです。
イスラエルには「園の墓」というのがあります。というのは、イエスを埋葬したと言われる墓はもう1つあるからです。園の墓はカルバリの丘からは数百メートルで、「墓が近かった」(ヨハネによる福音書19章42節)のでここかもしれません。
「彼らは」というのは、ヨハネによる福音書3章の「ニコデモ」と、墓を提供した「アリマタヤのヨセフ」たちで、「そこにイエスを納めた」とあります。埋葬はすべてが終わったことを意味します。他の弟子たちもその場から逃げますが、その失望感は察して余りあります。漁師だった弟子たちも、仕事、家族を置いて従ってきました。
ヨハネによる福音書20章は、先の見えない暗闇から始まります。「さて」と事が終わって次の段階に入ることを意味する言葉ですが、週の初めの日曜日、朝早くまだ暗いうちからとありますが「暗い」は、今の弟子たちの心の状況を表しています。他方、「朝早くまだ暗いうちに」と、朝日が昇る前の暗さと見ることができ、姉妹たちの、まだ見えない希望を垣間見ることができます。暗い中に、主は光を照らす用意をしておられたのです。
墓に着いたマリヤたちは、思っても見なかった情景を見ます。墓を塞いでいる石をどうやって、誰に動かしてもらうか、ほとんど彼らの目的「油を遺体に塗る」は不可能な状態できていますが、すでに石が取り除けられていました。マタイによる福音書28章では、マリヤたちが墓を見にきた時と同時に、地震が起こり、主の使いが天から降りてきて石を脇に転がし、その上に座ったとあります。しかし姉妹たちは、すぐに他の弟子たちに事の経緯を報告に行きます。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちにはわかりません。」(マタイによる福音書20章2節)
マタイには「御使いが」とありますが、姉妹たちは「だれかが」と分からないと記しています。確かにイエスの遺体を見なかったからです。
振り返って、姉妹たちはイエスの遺体に香油を塗るために墓にきました。しかし、それはほとんど不可能です。墓を塞いでいる石がそれを阻んでいます。後から走ってきた二人の弟子は、墓の中にイエスの体がないことを確認しています。
実は信仰は「0」から、不可能から始まります。人の能力の限界を超え、頭に浮かんだこともないような時点から始まります。
「救い」ー罪は増すばかりで、自己救済は不可能です。自分で自分を救うことができないのです。
「贖い」ー神の造られた人間は、高価で尊いいのちですから、どんなに贖いの代価が積まれてもはるかに足りないのです。
「死」ーいのちの終わりはすべての終わりを意味します。
このような状況から、神の働きが始まるのです。
「種まきの例え」マタイによる福音しょ13章1節〜農夫が種を蒔く時の状況が記されています。多くの収穫を得るためには、二つの方法があります。人力を尽くすか、誰かに頼むかです。
聖書は、誰に願うー自分、他者の介在
農夫である神がイエスによって福音の種を蒔かれるのです。すべての人に「種」は共通です。蒔かれた場所が違います。「道端」「岩地」「茨の中」、収穫があったのは「良い地」→「耕された地」です。農夫は土を耕すことは、雑草が倒され、土地が掘り起こされ、粉々に砕かれます。砕かれた土地に種が蒔かれた時、「後の雨」があり、芽生え、成長し、実を得ることができます。