主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の働きはむなしい。あなたが早く起き、遅く休み、労苦の糧を食べたとしても、それはむなしい。実に、神は愛する者に眠りを与えてくださる。
詩篇127篇1〜2節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「岩の上に家を建てる」マタイによる福音書7章24〜29節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 9月13日から会堂での礼拝を再開しています。午前7時からの早朝礼拝、午前10時からの礼拝です。インターネットでの配信も続けて行う予定です。祈りに覚えてください。
- 聖書の学びも再開しますので、時間の許される方はご参加ください。
- 会堂での集まりには、マスク着用や三密を避けられることを望みます。何分、神の恵みと助け、守りがあるようにお祈りします。
- 2020年10月24〜25日に特別集会「これから(終末)」を計画しています。メッセージは、平岡偉策師(姫路バプテスト教会牧師)です。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
9月27日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
9月29日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
9月30日(水) | 20:00 | 聖書の学び、祈りの時 |
10月3日(土) | 11:00 | 聖書の学び |
メッセージ
「岩の上に家を建てる」
マタイによる福音書7章24〜29節
主イエスは、マリヤを通して降誕され、30歳になられた頃、ご自身がヨハネからバプテスマを受けられ、ガリラヤ湖で漁師をしていた人を弟子にされました。
イエスはガリラヤ全土を巡って会堂で教え、神の国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆるわずらい、病を癒されました。この事はガリラヤだけでなくシリヤ地方に拡大していきました。ガリラヤは異邦人が多く、シリヤもほとんどが異邦人であり、イエスの元に群衆が集まってきました。ここでイエスは腰を下ろし、弟子たちが来て教えられました。マタイによる福音書5〜7章に至るメッセージです。
マタイによる福音書7章23節で教えを終えられ、これからの実践、みことばの教えに生きることの大切さを岩の上に家を建てるという例えを使って示されました。「ですから、わたしのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に例えることができます。」「賢い人」というのは「愚かな人」に対して使われていますが、賢いというのは良い響きがあります。では、その賢い人というのは何をもって賢いというのかを見てみたいと思います。
聖書は「例え」がたくさん用いられています。もちろん、この個所も自宅を建てる話しではありません。人生を建てる話しです。
「岩」はキリストです。コリント人への手紙第一3章11節「だれでも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」すでに据えられている土台とはイエスの福音です。イエスの降誕の目的でもあります。
賢い人とはIQのことではなく、岩であるキリストの上に、家を建てるという人生の土台とすることを言います。中東地域は荒地、砂で覆われています。ですから建築する場合には、岩にたどり着くまで砂を掘り下げます。土台が砂でも平時には問題ありませんが、風雨にさらされたとき跡形も無くなるほど酷くなります。建てた建物がむなしく滅びるのです。
ヤコブは、行いのない信仰はむなしいと言いますが、イエスのどんなに素晴らしい教えを聞いても実践しなければ、聞かなかったのと同じであり、むしろ聞かない方が良かったのかもしれません。マタイの福音書5〜7章のイエスの教えは、土台をイエスの上に据えてそれから建て始めるのです。金・銀・草・わら、人は様々な強度の家を建てるでしょう。風雨で建物を失っても土台は残り、草やわらならば「火の中をくぐるよう」に救われます。もちろんどんな人生を建て上げるかは大切ですが、もっと大切なのは土台です。聖書は神のみことばです。素晴らしいものです。でも、用いなければ聖書に出会わなかったのと変わりがありません。
大阪に繁盛している電気器具屋さんがありました。大型店舗のために廃業する店も出るほど疲弊していましたが、この店舗は繁盛していました。全国の小売店からその秘訣を聞きたいと講演依頼があり、ある日、同じ地域の組合からの講演依頼があり、主人は講演に行き、その経営のノウハウを話したのです。講演が終わった時、顔見知りの小売店の主人がきて「あなたは経営のノウハウを教えたら、あなたの店が影響を受けるのではないですか」と警告してくれました。彼は笑顔で答えました。「大丈夫、だれもやらない。良い話を聞いたと言うだけで」
ここでイエスは何を話されたのでしょうか。マタイの福音書5章3節で開口一番「心の貧しい者は幸いです」これだけで集まっている人々の多くは引いたと思います。何を話すのか。もっと偉大なことを、また病人がどうして癒されたのか。どんな力があるからか・・・と聞きたいことが山ほどあったと思いますが、イエスは「心の貧しい者は幸いだ」と始められたのです。