わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。
ヨハネによる福音書10章27節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「聖書に聞く」サムエル記第一28章1〜25節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 9月13日から会堂での礼拝を再開しています。午前7時からの早朝礼拝、午前10時からの礼拝です。インターネットでの配信も続けて行う予定です。祈りに覚えてください。
- 聖書の学びも再開しますので、時間の許される方はご参加ください。
- 会堂での集まりには、マスク着用や三密を避けられることを望みます。何分、神の恵みと助け、守りがあるようにお祈りします。
- 2020年10月24〜25日に特別集会「これから(終末)」を計画しています。メッセージは、平岡偉策師(姫路バプテスト教会牧師)です。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
9月20日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
9月22日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
9月23日(水) | 20:00 | 聖書の学び、祈りの時 |
9月26日(土) | 11:00 | 聖書の学び |
メッセージ
「聖書に聞く」
サムエル記第一28章1〜25節
混乱していたイスラエルの民に、神から油そそがれた王として「サウル」が召されました。士師の時代の終わりです。沖縄でも1400年代、尚巴志王によって三山統一されたようにです。
サウルは最初に、多くいた霊媒や口寄せを追放します。神なしにイスラエルを支配することはできないと考えた結果です。しかし預言者サムエルが天に召されたため、自分が後継者と考えたようです。そのような時、ペリシテ人が戦いを挑んできたので、軍を招集して陣を敷きました。
1 霊媒や口寄せの背後で働く悪霊
サウルは大変恐れました。恐怖は思考を停止させ、自分自身を縛っていく傾向になります。「オレオレ詐欺」のように、冷静に考えたり判断することができなくなる場合があります。サウルは、すでに召されている預言者サムエルに聞きたいと考えました。
そこで王だと判らないように変装し、夜、霊媒のところに行きます。しかし悪霊の影響のある霊媒の女ですから、追放するために来た兵だとすぐに思いました。自分の命絶たれるために来たのだと。サウルはそれを否定して「サムエル」を呼び出してもらいたいと言いました。
聖書では、女がサムエルを呼び出したとは記されていません。なぜなら、黄泉(アブラハムの懐)にいるサムエルを呼び出すことはできないからです。
しかしその時、女が「サムエルを見た」とあります。そして恐怖のあまり大声で叫ぶのです。女はサウルに騙されたと。訪ねて来たのはサウル自身だと気づきました。サウルは見えなかったので、女に「何を見たのか」と聞きました。女は「神々しい方が地から上って来るのを見ました。」と答えました。サウルは、その様子、それは誰だと聞くと「年老いた方が上って来られます。外套を着ておられます。」この神々しい方の表現「年老いた方」は永遠の神を表すことばで、「外套を着ている」はその主権を表します。サウルは、それは「サムエル」だと思い、「地にひれ伏し、拝んだ」と。もちろんイスラエルの民にとって、神は唯一であり、礼拝する対象は神だけだと信じています。サウルがサムエルだと言った相手は「主」かもしれません。なぜなら「拝する」ことを止めず、許されたからです。しかし聖書では「サムエルはサウルに言った」(サムエル記第一28章15節)とあります。サムエルはサウルにさばきがくだることを預言しました。
2 神の沈黙(サムエル記第一28章6節)
ここで、サウルの信仰の姿が問われています。サウルは全能の神を信じ、自分が王とされたのも神の導き、召しであることは十分にわかっていました。しかし神のみことばは常にサムエルを通してでなければ分からなかったのです。サムエルは預言者ですから、人へのみことばは預言者を通してだけが頼りでした。そのサムエルがいなくなり、神が沈黙されると途方に暮れてしまいます。今、ペリシテ人が攻めてくるという恐怖でどうしていいのか全く分からなかったのです。では、神は本当に沈黙されているのでしょうか。実は15章でみことばが語られていたのです。でもサウルは聞いていなかったのか、忘れていたのか、信じていなかったのか、頭にはなかったのです。
3 人生、問題が起こります
問題がなかったらよいのですが、必ずあります。その時どうすればよいのか、神のみこころは何か、サウルは霊媒に頼りましたが、イザヤ書8章19〜20節には「暗闇に訪ねても夜明けがない」とあります。そこは永遠の闇です。問題が起こったとき、どこを読めばよいのか、日頃みことばにふれる機会が大切です。「あなたのみことばは私の足の灯、私の道の光です。」(詩篇119篇105節)。停電になってから懐中電灯を探すのではなく、停電の前に懐中電灯を置く場所を確保しましょう。