私は知っている。私を覆う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。
ヨブ記19章25節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「創造主の知恵と世の知恵」ヨブ記1章1〜5節
- 報告
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 本日は聖餐式があります。主イエスが十字架にかかられる前に弟子たちと共に食事をされ、その席で十字架の意味をパンと杯を用いて示されました。この時から教会は聖餐式として主のなされたみわざを記すために2000年近く守られています。恵みの祝福の機会です。
- 午前10時の中城礼拝は、午後から配信しています。コロナ渦の只中にありますが、守られますようにと願っています。
- 聖書の学びは火曜日午後3時からと、水曜日午後8時から、土曜日午前11時からあります。マスクなどを用いながら進めています。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
6月7日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
6月9日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
6月10日(水) | 20:00 | 聖書の学び(黙示録)、祈りの時 |
6月13日(土) | 11:00 | 聖書の学び(ローマ人への手紙) |
メッセージ
「創造主の知恵と世の知恵」ヨブ記1章1〜5節
「ヨブ記」はわからないことが多い書簡です。まず「ウツの地」は何処なのかわからないし、書かれた時代も、アブラハムと同じ族長時代かもしれません。もしそうなら、聖書で一番古い書簡ということになります。登場人物は「ヨブ」と「三人の友」そして「エリフ」です。その大半は三人の友との問答が記されています。ただ聖書は「すべて神の霊感によるもので・・・」神のことばであると記されていますが、それはすべて神が語られたという意味ではありません。1章には神とサタンの問答が記されています。サタンの言葉はアダムとエバを誘惑した時のように真実ではなく嘘つきです。伝道者の書には、記者(おそらくソロモン)の知恵も記されています。
三人の友はヨブの事を知り、ヨブを慰め励ますために示し合わせて来ます。1章には、ヨブの人となり、誠実で・・・自分と家族のためにささげものをし、礼拝をささげている家長として紹介されています。ヨブは10人の子供、財産、健康を失います。突然の出来事です。妻が指摘するように、神を呪うような材料が揃います。三人の友も、現実のヨブを見て、七日間声をかけることができない想像を超えた悲惨さだったのです。
3章1節ではヨブの方から口を開きます。それは自分の生まれた日を否定する、自分の存在さえ否定する、創造主なる神に対する造反です。ここから三人の友は、自分たちが正しいと思っている事「世の知恵」をヨブに投げかけます。
1、テマン人「エリファズ」4章3〜5節
それはヨブにとっての癒しにはならず、結果的に責めることになります。人がキリスト者に言う言葉です。
「見よ。あなたは多くの人を訓戒し、弱った手を力づけてきた。あなたのことばはつまずいた者を起こし、くずれる膝をしっかりさせてきた。しかし今、これがあなたに及ぶと、あなたはそれに耐えられない。」ヨブは人を助けた素晴らしい人、しかし自分に苦難が襲ってくると途端に死を願っていると。神を知らないエリファズが信仰者のヨブに「人は神の前に正しくあり得ようか。その造り主の前にきよくあり得ようか」(4章17節)ヨブが言ったのなら、自分は罪人であり神の祝福を受けるにふさわしくないと言う悔い改めになるのですが、世の人の言葉ですから、ヨブは1章1節のように「正しく誠実ではない」所詮クリスチャンと言えども神の前に正しいことばはないと言う神の恵みを否定し、内は真っ黒で見せかけだけに過ぎないと。神は自分のしもべでさえ信頼しないと。6章1節でヨブは答えています。「私にはどんな力があるのか」(6章11〜12節)自分には何の力もない。今まで神の助けで生かされてきた。しかし今何の助けもない。「もういやです」(7章16節)「人とは何者なのでしょう。あなたがこれを尊び、心を留められるとは」(7章17節)それはイザヤ書43章4節の「あなたは高価で尊い。愛されている」と言う神の価値観を否定し、ヨブは尊くもなく、愛される資格もない。なぜなら大変な苦痛と悲しみのただ中にある。もう放っておいてくれ。エリファズは、信徒が苦しむのは神がいないか、いても助けられないからだ。
2、シュアハ人「ビルダデ」8章5〜6節
「もし、あなたが熱心に神を求め、全能者にあわれみを乞うなら、もしあなたが純粋でまっすぐなら、今すぐ神はあなたのために奮い立ち、あなたの義の住まいを回復されるだろう。」ビルダデは、ヨブの信仰が真実で熱心なら神はすぐにヨブを回復させるだろう。」とヨブの信仰と神の愛の隔たりの大きさを解いた。
3、ナアマ人「ツォハァル」11章7〜8節
人間には神と隔たりが大きく、あまりにも遠い「月に向かって叫ぶようだ。」この三人に神は、あなたがたは「わたしについて確かなことを語らなかった」(42章7節)ヨブの確信は、「私には天に確かな保証人がいる」(19章25〜27節)