彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
使徒の働き2章41〜42節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「御国への旅を共にするオアシス」使徒の働き2章1〜4節
- 報告
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 教会での礼拝にご参加くださり心から感謝いたします。まだまだ変則的な集まりになっていますが、特に健康に気をつけ祈りながら歩みたいと思います。
- 現在、豊見城と名護の集まりを中止しています。
- 6月7日に聖餐式が守られます。
- 10時からの中城礼拝を12時から配信しますので、機材のある方はお聞きください。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
5月31日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
6月2日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
6月3日(水) | 20:00 | 聖書の学び(黙示録)、祈りの時 |
6月6日(土) | 11:00 | 聖書の学び(ローマ人への手紙) |
メッセージ
「御国への旅を共にするオアシス」使徒の働き2章1〜4節
本日はペンテコステです。イスラエルの民にとっては大切な祭りです。その意味は「解放・自由」です。最近宣教師が「沖縄市に教会ができたけど知っているか」と聞いたので、「あれは教会ではなくチャペルです」と答えました。チャペルは結婚式場です。立派な建物です。教会堂はお金があれば建てられますが、教会はどんなにお金があっても建てられません。家族もそうです。
では教会はどうやって建てられるのでしょうか。あるいは、教会とは何か、どんな所なのか、しばらく考えてみました。今日はペンテコステですが、この日はイエス様が約束された聖霊の降臨の記念日です。ペンテコステの祭りの成就、解放の日、人を罪と死から解放し自由を与えることができるのは聖霊の働きです。教会は旧約聖書には記されていませんん。ですから奥義(旧約で隠されていて、新約の光がさして明らかになったこと)と呼ばれています。旧約では、聖霊は召し出された預言者などに「宿る」と記されていますが、新約では「内住」されるとあります。それはキリストの尊い血という代価で神の子供として贖われた(買い取られた)ので、聖霊は内住されます。このことを「主は御霊」という表現で示されています。
教会は宣べ伝えるべき福音を託され、御霊の内住、2〜3人のキリストの召しによる集まり、定期的礼拝などです。ですから教会のスタートは使徒2章からと言えます。
1、教会はイエス・キリストを土台とし、臨在されているところです。
それは「見えない神の見える形での幕屋」です。それはイエスの名によって集められた共同体と言えます。「救い主」という表現は、集まっている人は救いを必要としている罪人であり、イエスだけが罪を赦す権威、資格、力を持っておられるからです。
ですから教会は罪人の集まり、いや罪赦された、解放された人の集まりと言えます。そしてイエスは今も集めようと、救おうとされています。
マルコ2章17節には「医者を必要としているのは、丈夫な者ではなく病人です。わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて救うために来たのです。イエスは罪を病に例えています。私たちが病院に行って問診を受けますが「どこが悪いのですか」と聞かれ「どこも問題はありません。すこぶる健康です」と答えたら「今すぐ帰ってください」と勧められるでしょう。教会は、罪人、正しくない者の集まりです。正しい人は、教会に行ってイエスを救い主として救われたいと思われないでしょう。当時の宗教家たちは修行も断食もしないイエスの弟子を非難しました。自分たちの考える宗教的ではなかったのです。
2、教会はキリストのからだです。(エペソ人への手紙1章23節)
「教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです」
それは聖霊によって満たされているオアシスのような所です。絶えることなくいのちの水が湧き出て、いやしといこいの場であり、また荒野の旅の助けとなります。ペンテコステは、主がヨハネの福音書14章15節〜18節で約束された「助け主」が与えられる成就の日です。私たちの体も鼻から息を吸って酸素を取り入れます。酸素は血管の血にのせられ全身に行き渡ります。体は血で満たされています。血が通らなくなったら壊死します。ですから十分に行き渡る、聖霊充満です。
3、教会の存在の目的(使徒の働き2章29節〜33節)
それは「イエスの復活の証人」です。集うことは「復活のいのちの与え主」の礼拝、新生した者たちのいのちの交わり、そして「よみがえられた主を宣べ伝える」使命。ペンテコステは罪と死から解放された喜びと希望の日です。