私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのか。私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。主はすべてのわざわいからあなたを守り、あなたのたましいを守られる。
詩篇121篇1〜2節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「船首の帆を上げて」使徒の働き27章1〜4節
- 報告
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 今回の新型ウイルス問題で、集まりの自粛によって教会での礼拝、聖書の学び等が大幅に変更されています。更に4月26日と5月3日をお休みとします。
- 中城の早朝礼拝と名護礼拝、豊見城礼拝はお休みです。
- 中城礼拝は10時からインターネットで配信しています。機材のある方はお聞きください。また週報と礼拝のCDをできるだけ発送したいと思います。
- できるだけ早く共に集まる会堂礼拝を再開したいと願っています。ぜひ続けて教会のためにお祈りください。兄姉はそれぞれ外出の自粛や手洗いなどをされていると思いますが、特に健康が支えられ守られますように心からお祈りしています。主イエスの恵みと平安が豊かにありますように。在主
- 仕事や学業で内地にいる兄姉が守られるように祈りましょう。
- 献金をされる方は振込ができます。
沖縄海邦銀行 普天間支店
店番:042
口座番号:653969
普通
名義:単立恵みバプテスト教会
今週の予定
すべて休止です。
メッセージ
「船首の帆を上げて」使徒の働き27章1〜4節
世界は大きな問題に直面し、多くの方が命の危険にさらされています。教会も集まって礼拝できないような事態になっています。このようなことは今まで無かった未曾有の出来事です。
そのような中で、主イエスに使える者としてどのように過ごすのかを聖書から見たいと思います。ある意味信仰が試されているともとれるからです。
今日の聖書箇所は、パウロのローマへの航海の所です。パウロもその生涯において様々な出来事に遭遇しました。旅の途中、強盗に出くわしたり、偽兄弟に被害を受けたり、船が難破して海上を何日も漂ったり、何回かの鞭打ち、食べるにも事欠いたり・・・今回のローマ行きも、捕らえられて護送されるという不自由な旅でした。
私たちもイスラエル旅行で今回のコロナ騒動に出会いました。隔離、飛行機のキャンセル。そのためにローマに行くことになりました。奇しくも意図しない、eチケットも持たない、約束だけの飛行でした。テルアビブからローマに飛ぶ機内で、これも意図しない窓際の席(私は通路側を好みますが)になり、何気無く窓の外を見ていました。地中海は多くの島々からなり、私の生まれた瀬戸内海のようです。その時ふとパウロの航海を思い出しました。おそらく私が飛んでいる空路と同じような海上を船旅していたのでしょう。
・パウロは囚われの身
・人生、最後の旅に
パウロの護送はローマの親衛隊長ユリアスと船主、船長、乗組員、客、その他の囚人など合計276人です。おそらくカイザリアから船出し「良い港」(27章8節)に着きました。断食の日が過ぎ、冬に入ろうとしていたので順調に進むことができませんでした。そこでパウロは「皆さん。私の見るところでは、この航海は積荷や船体だけでなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失をもたらすでしょう」と言いました。
しかしユリアスはパウロの言葉ではなく、船首や船長の言葉を受け入れ出港します。しかし思うように進まず「ユーラクロン」という季節風が強くなり、船は自力航海できず、流れに任せるしか方法がありませんでした。それは波間に漂う恐れと不安な時を過ごすことになります。
彼らは、曳航している小船を引き上げ、船体を補強します。それでも暴風に翻弄され、次に大切な積荷を捨てます。積荷を運ぶという航海自体の目的を放棄し、航海に必要な船具も自分たちの手で投げ捨てます。できるだけ身軽にと考えたのでしょう。船具を捨てる事は、自分たちの助かる望みも失うことになり断たれようとしていました。みんな食事もできないくらい、身も心も疲弊していました。パウロは船長たちの中に立ち、「クレテから出航しないように進めたが総督は船長たちの意見を取り入れ、パウロの勧めを却下し無視した・・・」この世は、この世の知恵に頼ります。パウロは「神のみことば」に頼りました。この世の知恵には限界があります。失望と絶望があるだけです。しかし、みことばには約束と希望が無くなる事はありません。『船は失うことになりますが、いのちを失うことはありません』帆船は多くの帆を操りますが、「船首の帆」だけで、それは信仰の帆を上げ、聖霊の風によって進むいのちの航海を信じたのです。