それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神、わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
申命記5章9〜10節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「父のみもとに帰ろう」マタイによる福音書5章45節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 緊急事態宣言が延長され2021年7月11までになりました。会堂での礼拝もお休みし、再開は7月18日からとします。兄弟姉妹が霊肉ともに守られますようにお祈りいたします。
- 緊急事態宣言が予定よりも早く解除になった場合は、会堂での礼拝も早く再開いたします。沖縄県内の状況が一日も早く回復するように。
- ウィークデーの聖書の学びはグループも個人も続けています。ご参加ください。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
「父」
マタイの福音書5章45節
全能の神は「父、子、御霊」の三位一体であられるように、家族も「父、母、子供達」の交わりです。
最初の父は「アダム」ですが、信仰の父と呼ばれているのがアブラハムです。アブラハムはバビロンのウルで、父テラのもとに生まれました。バビロンは最初の帝国を作ったニムロデに始まり、神に対抗する勢力として描かれています。その象徴としてバベルの塔が建てられますが、目的は「頂が天に届く」と記されています。
その影響は現在社会にも続き、進化論のように神を排除する知識とされています。例えば「60進法」がありますが、1時間は60分、1分は60秒もバビロンから始まりました。
このバビロンから「アブラム」が神によって召し出されます。信仰の父と呼ばれていますが、信仰に優れた人という意味ではありません。旧約聖書には神は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と称されていますが、バビロンという偶像の地から、信仰によっての歩みがスタートしたという意味で「信仰の父」と呼ばれているのでしょう。聖書の原則は、強い者ではなく弱い者が選ばれる、のですから、アブラムは父の影響を受けて偶像社会に生きる弱い者であったのでしょう。その弱さは危機が訪れた時に頭をもたげてきました。
身の危険を感じた時、妻を犠牲にして保身します。2度までもです。この選択を知っているでしょう、息子イサクにも受け継がれ、同じような危機に出会った時、妻リベカを犠牲にします。
イサクの子ヤコブは、母親にそそのかされて、父から財産を横取りします。「オレオレ詐欺の先駆け」です。兄の名を騙り、兄のふりをして父親を騙します。
申命記5章9節の偶像礼拝禁止のみことばで「それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神、わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」と罪が相続されていくことを示しています。アブラハムもイサクもヤコブも、自己保身のために妻を犠牲にし、子供を差別し、自分の好みで溺愛しました。結果、大切なものを失います。アブラハムはイシュマエルを失い、イサクはヤコブを失い、ヤコブはヨセフを失います。
どの家族も、大きな苦しみ、悲しみ、傷を受け継いでいくのです。信仰の・・・と呼ばれるふさわしさはなかったでしょう。
この負の連鎖を断ち切ったのはヨセフです。ヨセフは傷を祝福に変えます。幼い頃から父に溺愛され、兄弟たちに恨まれ、贈り物の長服を着て、天真爛漫に生きているような子供です。しかし悲劇に遭います。兄弟たちの怒りを買い、奴隷として売られ、波乱の人生を送るのです。
エジプトで結婚したヨセフには2人の子供が生まれ、「マナセ(忘れる)」「エフライム(赦し)」と名付けます。
人間の父は不完全です。そのために災いと悲しみをもたらし、傷として子孫に継承されていきます。モーセは詩篇90篇で、この世は「労苦と災い」で、いのちに限界があることを示しています。
1、わざわいは、アダムの墜落によってもたらされた「ゆがみ」です。
2、苦難は、人間の限界を教えます。
3、苦難とわざわいを通して、「悔い改め」を父なる神は求めておられる恵み。
パウロは、「苦しみにあったことは幸せだった」それによって神を知った。振り返って、創造主から「父」として召された者が、子供達に何を遺すのか。
それは2つです。
1、世界観ー世界は神によって造られた。私も、あなたも。
2、価値観ー見えるものではなく、見えないものに価値を。
「父の日」これが神が父に与えた使命です。