そして、彼らに言われた。人の子は安息日の主です。
ルカによる福音書6章5節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「安息の与え主」マタイによる福音書11章25〜30節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 沖縄県では緊急事態宣言が出たので、会堂での礼拝は早朝も一般も休止し、10時からの配信のみになります。宣言が解除され次第再開する予定です。
- 会堂の外壁塗装が行われています。会堂も20年近く経過し、かなり劣化が進んでいました。屋根瓦のヒビ修理、網戸の交換、給水タンク台の撤去、防災はしごの交換、防水処理などを行っています。
- ウィークデーの聖書の学びはグループも個人も続けています。ご参加ください。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
「重荷を担われる救い主」
マタイによる福音書11章25〜30節
懐かしい俳優に竹脇無我さんという方がいらっしゃいます。この方が鬱を患い休養することになりました。有名人ですから、多くの人から励ましの手紙をいただいたそうです。その中に森繁久彌さんの手紙がありました。手紙には「ユダヤの格言に、人間笑ってばかりでは生きていけない。でも泣いてばかりでも生きていけない。笑うのに時があり、泣くのに時がある。これを繰り返して生きていくのが人生だ。とありました。エネルびーに満ちた太陽も沈む時があるのだから、我々人間だって沈んだり休んだりしてもいいじゃないか。」と書いてありました。他の手紙には「早く元気になってください」「一日も早い回復を」とありましたが、森繁さんは「休めばいいじゃないか」とあり、竹脇さんはホッとしたそうです。
聖書には3つの安息が記されています。
1)安息日ー週の7日目
2)安息年ー年の7年目
3)ヨベルの年ー安息年を7回で50年目
1、安息ー単に休むことではなく、主との交わりの意味
人がいわゆる元気で生きていくためには、「ホッとすること」「心が休まる場所を確保すること」が必要かもしれません。「安息」が必要です。神は創造のみわざを6日間で終わり、7日目には休まれたとありますが、実は神は休まれない方です。詩篇121篇3〜4節には、「まどろむ(うとうとする)こともない」と記されています。ですから、安息は神ご自身のためではなく、人間に与えられた恵みと言えます。十戒も最初の三戒は神に対する戒めで第四戒に安息があり、それから人間同士の戒めがあります。もっとも言葉が多いのも「安息日律法」です。
2、カペナウムへのさばき(マタイによる福音書11章23節)
カペナウムはイスラエルでは中心的な商業の町であり、地中海からシリヤの首都ダマスカスへの行程の要所にありました。また主イエスの宣教はこの町を基点にしていました。どの地よりもイエスのことばとしるしを見聞きする機会が多かったと思います。もし主の力あるわざが、滅ぼされたソドムやゴモラでなされたら滅亡しかなかったかもしれないと、主に言わしめられるほどでした。
3、神のみこころは、弱く、小さく、幼子に(マタイによる福音書11章25節)
カペナウムは「知恵者」や「賢い者」の町です。それは学問においても、経済商売においても抜きん出て、いわゆる成功者が多くいる町です。すでに祝福されているので、祝福を求める必要はなく、自分の知恵と力によって成功、祝福を勝ち取った人々でした。豊かな作物に恵まれて倉庫を建て増ししている主人に似ています。
4、この競争に敗れた人、あるいは夜昼休みなく働いている人に対して「わたしのもとに来なさい」とイエスは招かれたのです。
ここには3つの招きが記されています。
1)わたしのところに来なさいー救い主イエスを信じ受け入れなさい。
2)わたしのくびきを負いなさいー人生、いのちをともに分かち合いなさい。
3)わたしから学びなさいー救われる時も、みことばと御霊によりますから、人生もみことばに聞き、御霊の助けの中を歩みなさい。
「くびき」
わたし(イエス)のくびきは負いやすく・・・恵みによる信仰のみ
軽いからです・・・重い部分をイエスが負われた。
「安息」は大切です。休みは大切です。どのように休むのかというと、それは単に疲れた体と頭を休ませるというのではなく、神との交わりこそ、真の休みと言えます。なぜ?それはイエスの安息を共にするためです。