ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
ローマ人への手紙12章1節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「私たちの父なる神」ヤコブの手紙1章16〜18節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 本日から沖縄県では緊急事態宣言が出たので、会堂での礼拝は早朝も一般も休止し、10時からの配信のみになります。宣言が解除され次第再開する予定です。
- ウィークデーの聖書の学びはグループも個人も続けています。ご参加ください。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
メッセージ
「創造主は私たちの父」
ヤコブの手紙1章16〜18節
新約聖書は、手紙の形で記されています。記者は使徒たち、あるいはイエスの弟子たちです。本書は主の兄弟(ヨセフとマリヤ夫妻の子)ヤコブとされています。当時は、エルサレムでの迫害とそれによる経済的貧しさの中にあり、離散する兄弟たちがたくさんいました。ヤコブはその信徒たちに向けて本書を記したのです。
書き出しに「私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。」とあり、試練に遭うことは喜びと「思いなさい」と、到底喜びでない試練を「思いなさい」としています。そして、その試練が忍耐を生み、何一つ欠けたところのない主のようにされていくからです、と。
「忍耐を働かせなさい」というのは、環境、状況が違ってきても続けなさい、との励ましです。
ヤコブの手紙1章16節「思い違いをしてはいけない」
イスラエルで主と出会い、信じて新しく生まれた神の子供たちが、今まで経験したことのない試練と労苦の中に歩むこととなりました。「こんなはずではない」状況に平安を失っていく兄弟姉妹たちが多くいたのです。
ヤコブは、幼少の頃からイエスを兄として育てられました。母マリヤと共にイエスを訪ねてきた時も「兄弟たちもイエスを信じていなかった」とあり、かなりの苦悩があったようです。やがて、イスラエルの民が心の拠り所にしていた神殿もエルサレムから離れ、異邦人の地にあって生活も信仰も守るという試練が、彼らから確信と平安を失わせていたのです。その後、エルサレムも崩壊し、全世界に散らされていくことになります。
ヤコブの手紙1章17節「すべての良い贈り物、すべての完全な賜物は上からのものであり、光を造られた父から下ってくる」
・「贈り物」ー行為
・「賜物」ーその結果
例えて言うと「マナ」
マナは不毛の荒野でイスラエルの民を養われるための恵みの賜物です。賜物は「マナ」そのものです。ヤコブは、私たちの」いのち、生活は上(創造主)によって守られ支えられているのであって、この事は世界が、時代が変わっても、変わることはありません。それは恵みも祝福も同じです。
イエスは「わたしは世の光です」と仰せられましたが、天地創造時「光よあれ。」と光という賜物が与えられた方です。
父は誘惑されたり、災いをもたらしたりしません。だから「この災い」は神からもたらされた、と言ってはなりません。しかし、実際は苦しんでいます。ですから、神からの試練だと思って耐え忍びなさい。
ですから、苦しみは神が民に与えた報いだというサタンの騙しに屈してはなリません。
「光」の働き
それは、物を判別させ、成長させ、緩められます。太陽に例えると、地球の自転によって「朝があり、夜がある」が、太陽そのものが輝いていないわけではありません。真っ暗に見える世界も、創造主の恵みの祝福が変わることはないのです。マラキ書3:6
1:18 父は「私たちを被造物の初穂に」
天の父は、イエスを死からよみがえらせ、復活のいのちの初穂とされましたが、次に罪人を初穂とされるために、十字架の贖いと復活があるのです。父は初穂とされた民を礼拝者としたいのです。
「ベテスダの池の盲人」
主は「目が見えるように」と願った盲人に、目に唾で土をこねたものを目に塗られ、ベテスダの池で洗いなさいとみことばを与えます。彼にとってその世界は「真っ暗」です。実は池はエルサレムの一番低い地にあり、そこまでの道は危険な坂です。盲人にとっての試練でした。そこで「主のみわざ」を見るのです。