2021年4月25日

愛する者よ、あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸を得、また健康であるように祈ります。

ヨハネの手紙第三2節

敬拝

  • 黙想 静かに礼拝に備えます
  • 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
  • 祈り
  • 勧め 「天命を受け、人事を尽くす」マタイの福音書7章15〜23節
  • 献金
  • 報告
  • 頌栄
  • 祝祷

教会からの報告・案内

  • 本日から会堂での礼拝を再開します。コロナ禍の中での集まりになりますので、兄姉は感染対策をしながらの礼拝です。主に守りといやしを求めてささげたいものです。
  • 見えないウイルスとの課題です。思い当たることがあれば、配信等での礼拝を選びましょう。
  • ウィークデーの聖書の学びもあります。火曜日午後3時からと、土曜日午前11時からです。個人的な学びもあります。特に三密に気をつけて座席を確保してください。
  • 会堂の外壁のペンキ塗りを行います。足場等が立てられますので駐車などに注意をお願いします。

この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。

今週の予定

4月25日(日)7:00早朝礼拝
 10:00一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。
  教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。
4月27日(火)15:00聖書の学び
4月28日(水)20:00聖書の学びと祈り会(使徒の働き)
5月1日(土)11:00聖書の学び(マタイによる福音書)

 

メッセージ

「神ありて・・・」

マタイによる福音書7章15〜23節

 イエス・キリストを救い主として信じ救われると生活をどのように捉え、働き(行い)との関係はどうなるのでしょうか。

それは、「新しい人生を与えられた」ことになります。今日の箇所は「主人としもべ」の物語が記されていますが、聖書にはぶどう園の主人と農夫のようにその関係がよく出てきます。

1、神ありて

聖書の書き出しは「はじめに神が天と地を創造した。」です。新しい新改訳は「・・・創造された」とありますが、前の訳は「・・・創造した」です。この違いは、見る角度の違いです。創造主の側から見ているのか、人間の側から見ているのか。実はどちらも真実です。神の側から見れば「〜した」ですし、人の側から見れば「〜された」です。

ただ大切なことは、はじまりは人からではなく、神からです。「はじめに」は時間の創造、「天」は空間、「地」は物質です。世界は時と空間と物によって成っています。人間の創造は六日目ですが、前の五日間は人間の生きるための準備です。自然は人を祝福するために造られたのです。

神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれました。それで人は生きるものとなりました。それは、ちりで造られたからだという住まいと「いのちの息」という霊的いのちで生きるようにとの神である主の配慮です。

人は神を主として生きる「神ありて」です。

2、罪は偽預言者を招いた

「にせ預言者」とは何でしょうか。預言は「主のことばを預けられる」ことです。聖書で預言者は神から預言が与えられ民に語りました。主も「全世界に出ていきすべての造られた者に福音を伝えよ」と宣教を命じられました。

ここでの問題は、「主とは誰か」ということです。神を主としなくなったアダムは「自分を主とした」のです。悪魔の誘惑がありましたが、善悪の木の実を取って食べる判断は自分でしたのです。善悪の基準は人間にはありませんでした。神が基準、神が善だったのです。

その動機は「食べるのに良さそうで、目に慕わしく、また賢くしてくれそうで・・・」です。良い、美しい、賢い、これは人が求める三要素とも言えます。

偽預言者というのは、善悪の判断の基準を自分に置くことです。「私はこう思う。私は正しい・・・」の「私」が主になることです。それは「実」で判断できます。動機が「欲」ですから、自分にとって徳になるかどうかが判断基準です。

3、イエスを主とすると、「天命を与えられ、人事を尽くす」

この世では、すばらしい生き方を「人事を尽くして天命を待つ」と言います。「人事」というのは、会社の人の配置もありますが、能力を発揮して人ができるすべてのことを言います。恵みというと「おむすびころりん」と揶揄しますが、実は「おむすび」を手に入れるために、土地を耕し、種を蒔き、いばらやあざみという雑草を抜き、水をやり、収穫を待つ、努力や忍耐、頑張りの汗の結晶における結果が「おむすび」です。

それは人間の行いではないかと言うでしょう。しかし、ここに違いがあります。「天命(みことば)が与えられ、人事を尽くす」のです。逆です。良い木は良い実しかならないし、実を結ばない枝は(私たちは実ではなく枝です)主が剪定してくださり、良い実しか残らないのです。

マタイによる福音書7章21節から具体例が示されています。「主よ。主よ。」と主の名によって預言し、悪霊を追い出し、多くの奇跡を行った人です。彼らの実は自分の行いです。賢い人とは「岩の上に自分の家を建てた人」です。「主にあっての行い」です。