あるいは地に話しかけよ。教えてくれるだろう。海の魚も語るだろう。これらすべてのうちで、主の御手がこれをなしたことを知らない者があるだろうか。
ヨブ記12章8、9節
敬拝
- 黙想 静かに礼拝に備えます
- 賛美 心を込めて主をほめたたえよう
- 祈り
- 勧め 「贖いの代価」マルコによる福音書10章45節
- 献金
- 報告
- 頌栄
- 祝祷
教会からの報告・案内
- 2020年12月20日(日) 10時 クリスマス礼拝
- 2020年12月24日(木) 19時 燭火礼拝
- 2020年12月27日(日) 礼拝後 大掃除
- 2021年元旦礼拝は1日(金)午前10時からです。
- 本日2020年12月13日はビジョン会を行います。教会員の方はご参加ください。
- これからの予定のためにお祈りください。
この新型コロナウイルスが制されるように心からお祈りいたします。
愛する皆様の健康が守られますように。
今週の予定
12月13日(日) | 10:00 | 一般礼拝 創造主を賛美し、礼拝します。 |
教会楽校 礼拝の中で子供たちがクラス毎に聖書を学びます。 | ||
12月15日(火) | 15:00 | 聖書の学び |
12月16日(水) | 20:00 | 聖書の学びと祈りの時 |
12月19日(土) | 11:00 | 聖書の学び |
メッセージ
「贖いの代価」
マルコによる福音書10章45節
先週、大きなニュースがありました。「りゅうぐう」という小惑星に衛星を飛ばしてその表面を採取し持ち帰ったのです。目的は、宇宙の成り立ちと生命の根源を見つけるためです。もしそうなら、星に聞くのではなく、創造主の啓示である聖書に聞くことができます。
聖書は「初めに神が天と地を創造した」と書かれ、ヨハネによる福音書1章には、すべてのものは神の作品であり、この方によらずにできたものは一つもない、とあります。「この物」ではなく「この方」、それは物質ではなく、人格をもたれたいのちの根源であるとあります。
今、世界は大変な状況に置かれています。「ウイルス」の蔓延です。人はウイルスと闘っています。手洗い、換気、マスクの着用、不要不急の外出の制限。。。中国の武漢で発生したとされていますが、中国政府は武漢という大都市を封鎖して対処しました。すべての市民は外出禁止です。
しかし、人が生きていくためにはどうしても必要なものがあります。衣食住の「食」です。地方政府は各家庭に「食料の配達」を行いました。
衣食住さえあれば何とか過ごせます。エデンの園に置かれたアダムは神の恵みによって生きられるように手配されていました。大地、光、空気、水、植物。。。それは人は働きがなくても生きていけるようにです。働きがないと言いましたが、水を汲んだり、果物をもいだりする働きが必要です。また、土を耕すという仕事も与えられています。
20世紀からは科学の時代だと言われています。しかし、科学技術が発達しても、大地、光、空気、水などはすべてのすべての人の必要のための量を作れません。創造主が造られた宇宙をみる時、その偉大さは、蟻が象の大きさを説明するよりも超えています。また神は造りっぱなしではなく、それを維持、保持されているのです。
1、その創造主が人となられたのが、クリスマスです。多分世界中で最も盛大なお誕生会だと思います。神のひとり子の降誕は「仕えられるため」ではなく「仕えるため」です。人から仕えられるにふさわしい方が、人に仕えるために来られたのです。ヨブ記1章17節には「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを尊び、これに心を留められるとは」と驚いています。あるじがしもべに仕えるのです。それは親子関係に似ています。生まれたばかりの子供に親は仕えます。赤ちゃんはわがままで、自己中心です。あまり仕事もお手伝いもしません。しかし、親が子供に仕えることは大きな喜びです。
2、贖いの代価としてのイエスのいのち
「贖い」は専門用語です。それは、奴隷を買い戻し解放するための代価です。人間が神に反抗し、サタンの性質、罪と死の奴隷化しているすべての人を神のいのちに買い戻すための代価です。
イエスの弟子イスカリオテのユダは、イエスを銀貨40枚で売りましたが、当時の男奴隷の値段です。
それほどまで、創造主から見れば、人の価値は高価なのです。神のひとり子のいのちが犠牲になるほど。
3、贖いの代価は、神のひとり子のいのち
聖書は、大切なものは大切なもので。。。という意味で「いのちにはいのちをもって」とあります。なぜ殺人は罪なのでしょうか。それは、人のいのちは罪人のいのちをもって償うことはできないからです。金属で一番硬いのはダイヤモンドですが、ダイヤはダイヤによってのみカットできます。他の金属では文字通り刃が立たないのです。神は人のいのちのために、神のひとり子のいのちを差し出されたのです。人は神の目に高価で尊く愛されています。